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伝説のクルー、エリート・フォースのブッダ・ストレッチ来日!Buddha Stretch – The Art of Hip Hop Workshop Japan Tour 2012

伝説のクルー、エリート・フォースのブッダ・ストレッチ来日!

ヒップホップ・ダンスを日本に広めた伝説のクルー、エリート・フォースのブッダ・ストレッチことエミリオ・オースチン・ジュニアがまたまた来日します。宮崎県、滋賀県などでヒップホップ・ダンスのワークショップを開催します。ストレッチは生き方そのものがヒップホップです。20年以上も踊り続け、日本の皆さんにヒップホップ・カルチャー/ダンスの真髄を教えてくれたレジェンドです。この機会にぜひご参加下さい。

Buddha Stretch – The Art of Hip Hop Workshop Japan Tour 2012

Buddha Stretch WS Tour 201

宮崎県

10月23日
S.S. Project – Dance Academy
宮崎市佐土原町下田島」20527-4
090-9609-8

10月24日
Studio Real宮崎県都城市年見町8-7
0986-36-5341 (16時~22時)

10月26日
Spiral Dance Studio
宮崎県宮崎市清水1-6-5-B1F
0985-38-8712

10月28日
Dance Battle Judge

福岡県

10月29日
Gantz Dance School
070-5417-0830 (12時~21時)

10月30日
Style Flavor Dance School
福岡県北九州市小倉北区室町3丁目2-27グローカルビル1F・2F
093-582-4000

10月31日
Wing 1 Dance School
福岡市中央区薬院4-18-35 浄水プレイス2F
092-986-3965

松山市

11月2日
Dance Studio Moga
松山市湊町3丁目    松山市湊町3丁目6-1
089-934-3434

滋賀

11月4日
Studio Alpha
滋賀県大津市馬場2-6-16生活美術館B1
077-521-4680

大阪

11月5日

Studio Ash

11月13日

Studio Myster

広島

11月15日

FLEX

東京

TBA

http://www.eliteforcecrew.com

Nippon Hip Hop Nation – 1 日本ヒップホップ・ネイション Miss Hitoe from SPEED – 1

SPEED

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日本ヒップホップ・ネイション Miss Hitoe from SPEED – 1

 スピードのメンバー、仁絵(Hitoe)さん

日本人の有名人の人たちのなかにもNYが好きな人、R&Bやヒップホップが大好きな人たちがいます。私の知っている人でも何人か日本の芸能界で活躍しているヒップホップ・ファンがいます。H2Nではあらたに「日本ヒップホップ・ネイション」のコーナーを設け日本人で活躍しているアーティストのインタビューを掲載していきたいと思います。

初回はアイドル・グループ、「SPEED」で活躍していたダンサーの仁絵さんです。彼女のNY好きはよく知られていて、「SPEED」が解散した後は2年間NY留学をしたほどだそうです。

ブラック・カルチャーが大好きで、アフロ・ヘアやブレイズ・ヘアでヒップホップ・ダンスを踊ったりして注目された仁絵さん。彼女のファンキーで自由奔放な自己表現は日本のお茶の間のみなさんにもすんなり受け入れられました。仁絵さんのラヴリーなキャラのおかげで、ブラック・カルチャーが一般大衆にまで広まりました。 自分のパフォーマンスに「ソウル」を散りばめてお茶の間のみなさんにお届けする、そんな彼女の功績はとても素晴らしいと私は思います。ハーレム2ニッポンではブラック・カルチャーと日本の文化を結ぶ「架け橋」が目標なのですが、それをいとも簡単に実現してしまったのが仁絵さんではないでしょうか。

ニューヨークで絵画を勉強したりヨガを習って資格を取得したり、つねに新しいチャレンジをしている仁絵さんの姿はあまりに神々しくて眩しくさえ感じられます。

その仁絵さんと最近会う機会があり、あらためて彼女のブラック・カルチャーを愛する姿勢に感動しました。SPEED 再結成、11月14日にニュー・アルバム、「 4 colors」をリリースするそうです。仁絵さんのアーティストとしての歩みを振り返ってみましょう。

1995年「夜もヒッパレ」に当時すでに大スターだった安室奈美恵の妹分として出演。

1996年 SPEED結成。新垣仁絵15歳でトイズ・ファクトリーとレーベル契約、芸能界デビュー。目標はアメリカのヒップホップ・ガール・グループ、TLC。

スタジオ・アルバム

1997年、ファースト・アルバム、「Starting Over」をリリース。

1998年、2枚目アルバム、「Rise」リリース。

1999年、「Carry On My Way」アルバム・リリース。

2003年、「Bridge」リリース。

その他、ライヴ・アルバムなど作品多数。1999年には仁絵さんの初ソロ・シングル「祈り」を発売、いきなりオリコン2位という快挙を遂げています。

仁絵さんのインタビューは次回、Part 1 とPart 2 の2回に分けてお届けしますのでお楽しみに!

伊藤弥住子

Shawn Carter a.k.a. Jay-Z 世紀のイベント Brooklyn’s Barclays Center, The House HOVA Built

Jay-Z

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Jay Z Grand Opening Celebration at Barclays Center

 Shawn Carter a.k.a. Jay-Z 世紀のイベント

 ネッツのホームベース、「バークレーズ・センター」で行われた世紀のイベント、ジェイZのライヴを観てきました。8回公演のうちの4日目、10/1(月)のショーで、チケットの値段は$29.50と庶民価格、ブルックリンの地元の人たちに観てもらえるようジェイZ自身の取り計らいによるものだそうです。

 最寄り駅、「アトランティック・アヴェニュー」の駅名も「アトランティック・アヴェニュー/バークレーズ・センター」と変っていました。電車内の表示も一新、駅のホームにも「バークレーズ・センタ−はこちら」という表示つき。とにかく駅の真っ正面にどか〜んと建っているのです。できたばかりのスタジアムはぴかぴかです。

Barclays Center

 ジェイZのデビュー以来何度もライヴを観ましたが、毎回パフォーマンスに磨きがかかり、その成長ぶりにいつも驚かされます。初期の頃、90年代のジェイZはステージを歩き回りながらシャンペンを飲んだり、ただの不良のようなラッパーでした。ラップはデビュー当時からうまかったのですが、ライヴでの演出はほとんどないに等しく、仲間のラッパー、メンフィス・ブリークや、ラッパーでもないのにラップする元パートナーのディモン・ダッシュやら、沢山の仲間たちが舞台を占拠、みんなウロウロしながらマイクで叫び誰がラップしているかわからない、そんな時代だったのです。

 「ブルー・プリント」をリリースしたのが911の起きた当日,2001年の911日でした。後日922日に行われたジェイZのコンサートはアルバム発売記念イベントだったのが急遽「911追悼ライヴ」となり、ふだんはあまり政治発言をしないジェイZが、「ヒップホップ・ネィション全員団結してテロに負けずがんばろう」と両手を合わせてロッカフェラ・サインを出し、熱く誓ったのがまるで昨日のことのようです。

 2003年にはヒップホップ引退声明を発し、「ブラック・アルバム発表後、ラッパー最後のライヴ・コンサートをマジソン・スクウェア・ガーデンで開催しました。(のちに復帰。)

 バークレーズ・センターはコンサートの場合は収容人数約19000人ということですが、マジソン・スクウェア・ガーデン(20000収容)より大きく感じました。会場内は興奮のエネルギーがみなぎっています。8時開演、DJがオールドスクルー・ヒップホップやRBクラシックスをかけて煽ります。9時半をまわった頃、ジェイZが登場、19000人全員の凄まじい歓声があがりました。

Jay-Z Concert at Barclays Center

Jay-Z Concert at Barclays Center

 ステージにはスクリーンが設置されており、ブルックリンの歴史や著名人の映像が映し出されます。私の席はステージの真横だったため、スクリーンはほとんど見えず天井から吊るされたモニターで確認できた程度でした。ブルックリン代表、ジェイZが観客に向かって叫びます。「イズ・ブルックリン・イン・ザ・ハウス?」、「イェーーーース!」というお約束のコール&リスポンスが交わされます。オープニング・ナンバーは納得の「Where I’m From」、そして地元ベッド・スタイ出身の仲間ラッパー、故ノートリアス・B.I.G.への追悼曲、「Juicy」でBKを讃えます。「天国にいるビギーに聞こえるようにみんなも大きな声で歌ってくれ。」と観客参加を促され、みんなでフック’Uh….and if you don’t’ know, now you know, n***’を合唱しました。

 さらにヒット曲、 “99 Problems” そして”We Run This Town”と続きます。アリシャ・キーズとのコラボ曲、 “Empire State Of Mind” をラップしはじめた時、「今日は特別なゲストが来てくれたんだ。」とジガ・マンが告知……..、もしや……?期待に胸がふくらみます。フックの’In New York, Concrete jungle where dreams are made of……..’のところでまた「ウィ・ハヴ・ア・スペシャル・ゲスト・トゥナイト。」と繰り返します。ここで颯爽とアリシア・キーズが表れるはずだったのだと思います。3度目の正直、「We have a special guest tonight……」とアナウンスするジェイZの声もだんだん心もとなくなってきました。とうとう曲もおしまい、待ち人来らず……..。嬉しいサプライズがなんだか後味の悪いサプライズになってしまいました。

 ドラマーがふたり、ドラム・セットも2台、タイトなライヴ・バンドを従え、“Big Pimping’,” ”Hard Knock Life,” “Dead Presidents,“ “I Just Wanna Love U,” “Can I Live,” “Encore,” “What More Can I Say” といった懐かしい曲の数々を披露。そして、1999年のパーティー讃歌、 “Do It Again”もオーディエンス参加でパフォームしました。キレのいいラップ、みごとなフロウ、ここまで完璧なラップ・コンサートができるのは多分ジェイZをおいて他にはいないでしょう。

 空中にかざしたiフォンはまるで宇宙に散りばめられたブルーの星のよう。巨大なアリーナが満天の夜空のように光り輝きます。「今日は本当に来てくれてありがとう。オレをここまでにしてくれたみなさんに感謝します。ブルックリン、ありがとう!」ラップ・キング、ジェイZのあくまでも謙虚な言葉にじ〜んと心をうたれたフィナーレでした。

 よくぞここまでやってくれました。ショーン・カーターの晴れ姿に感動!

Shawn Carter has certainly come a long way.

 伊藤弥住子

Harlem Haberdashery お洒落ブティック「ハーレム・ハバダシェリー」- Urban Traditional Fashion Boutique

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Harlem Haberdashery
ハーレム・トラディショナル、お洒落なブティックが登場

245 Lenox Avenue
(between 122nd & 123rd Street)
New York, NY  MAP
Phone: (646) 707-0070

ハーレム育ちのガイ・ウッドがメンズ・ブティック「ハーレム・ハバダシェリー」をオープンして話題になっています。

20年ほど前、「5001フレーヴァーズ」というブランドでデビュー、ヒップホップ・アーティストたちの間でブームとなり一般にも浸透したアーバン・ファッションの火付け役、それがガイ・ウッドでした。

Biggie Smalls – 5001 Flavors

ビギーのシカゴ・ギャング風のストライプ・スーツは「デブでもかっこいい」と好評を博し、ヘヴィー・ディーの特注レザー・スーツは業界の注目を浴びクィーン・ラティファなど大型ラッパーたちから注文が殺到しました。90年代初期、まだ駆け出しのPディディークレイグ・マックトータルなど立ち上げたばかりの自社バッド・ボーイ・アーティストたちのビデオ用衣装を発注したり、まさに5001フレーヴァーズは「ヒップホップ界御用達ブランド」へと急成長したのです。一般からの要望もあって今度はTシャツ、フディー、ジャージー、ジーンズなどカジュアルな既製服ラインも始め、ブランドとしても確立し定着していきました。

Elite Force in Japan

人づてに紹介されたガイ・ウッドと当時のパートナー、トロイ・ジョンソンに私が初めて会ったのは90年代初期のこと。彼等のロゴTシャツのデザインが良かったので、日本でヒップホップ・グッズを扱っている知り合いのお店に話したところ「是非購入したい」と即決、5001フレーヴァーズが日本に初上陸しました。95年、エリート・フォースというヒップホップ・ダンス・チームが日本初公演することになり、私がそのプロジェクトの手伝いをすることになりました。当時、Maurice Malone というデザイナーがヒップホップ界で話題になっていて、ちょっと迷ったのですが、「5001 Flavors」のロゴTシャツとジーンズをエリート・フォースのステージ・ユニフォームにすることを決定。日本では東京、大阪、広島をまわりました。そのダンス公演のお陰で、日本でもファイヴ・サウザンド・ワン・フレーヴァーズが爆発的人気を呼び、追加注文が相次ぎとても忙しい思いをしました。あの当時はまだガイ本人がミシンをがちゃがちゃ踏んで服を作っていました。

新しく開店した「ハーレム・ハバダシェリー」では自社ブランドのほか、若手デザイナーの商品も置いています。そのうちのひとつ、オーナーの息子、ガイ・ウッド・ジュニアが立ち上げた「ブラック・ビリオネアーズ」のデザインがかっこいいと評判になっています。お洒落なメンズ・ファッションのお店ですが、女性用のワンピースやジーンズもあります。お値段はTシャツで40ドル前後と安くはありませんが、訪れるファッショナブルなお客さんには好評なのだそうです。

ガイにお店のコンセプトを聞いてみたら、「ハーレムの人たちはもともとすごくお洒落。オレ、ずっと小さい頃から近所のピンプやギャング、ミュージシャン、弁護士とかあらゆるタイプの人を見てきて、自分なりのファッション観を培ってきた。あくまでトラディショナルだけどカラフル、そしてちょっと遊び心のある服、それがハーレム・ハバダシェリーのスタイルかな。」という答えが返ってきました。

毎週木曜日の夕方はお店でネットワーキングのパーティーを開催、だれでも自由に入れます。 蝶ネクタイに太いフレームの眼鏡をかけた黒人の男の子や、細いパンツの裾を上げてカラフルなレザー・スニーカーを強調しているショート・アフロのお兄さんなど、集まってくる人はみんな若くて個性的。ネオ・ハーレムの若いエネルギーが炸裂しています。アップタウン・ファッションの震源地、「ハーレム・ハバダシェリー」一度覗いてみませんか。

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