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Make My Fish Harlem ハーレムの新しいフィッシュ屋さん


大手スーパー・マーケット・チェーンのWhole Foodsが125丁目の目抜き通りに出現したり、目まぐるしい発展を遂げているハーレムに、また新しいお店が登場しました。

116丁目、レノックス・アベニュー(今はマルコムXブールバードと改名)近くにできた「メイク・マイ・フィッシュ・ハーレム」では、新鮮なお魚のフライやグリルをハーレム価格で提供しています。テイクアウトのお店ですが、混んでいなければカウンターでも食べられます。お薦めは何と言ってもお魚料理の代表格、「フィッシュ&チップス」です。イギリスの名物ですが、アメリカのレストランでもクラシック・メニューのひとつとして親しまれています。本家、イギリス風ではコッド・フィッシュやポラックといった白身魚(鱈の一種)のフィレを使いますが、ハーレムのMake My Fish では、黒人の間で馴染みの深い小ぶりのホワイティングを丸ごと薄い衣をつけて揚げています。メニューはフィッシュ&チップスの他に、シュリンプ・フライやシーフード・コンボなどがあります。いかにもハーレムらしいのは、フィッシュ専門店なのにチキン&チップスやチキン&チップスワッフルなど鶏料理があること。チキン専門のお店よりずっと美味しいと評判です。


この写真はテイクアウトしたものを自宅で皿に盛って写したのですが、これで、半分の量なんです。ディナー二人分くらいの量で、なんとタックス込みで$7.25(約795円)という驚異のお値段。とてもフレッシュで、あっさりしていて日本人好みの味です。


あまり美味しいとはいえない料理なのにオーバープライスなレストランが増えているハーレム、とても良心的でフレンドリーな「メイク・マイ・フィッシュ」は地元の人のための憩いの場として愛されているようです。近くに行ったら立ち寄ってみてください。

Make My Fish Harlem
120 W 116th St
New York NY 10026 MAP

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MLK(マーティン・ルーサー・キング牧師)没後50年、「叶わぬ夢…….?」50 Years After MLK – A Dream deferred


50 Years After MLK – A Dream deferred

1月14日の日曜日、ハーレムのアポロ劇場にて、マーティン・ルーサー・キング牧師の生誕を祝うイベントが開催されました。テーマは「50 Years After MLK – A Dream deferred」。

1968年4月4日、キング牧師は講演先の宿泊地、メンフィスのモーテルで暗殺されました。享年39歳。今年はあれから50年…….。いつか、人類みな平等の平和な世界が訪れる……、有名なスピーチ、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」の夢はいつ叶うのでしょうか。

例年になく寒さの厳しい、氷点下7度という日曜日の午後3時、アポロ劇場の前には長蛇の列が……。まるでクリス・ロックのツアーかと思ってしまうほど。でも、よく見ると白人やアジア人の若い人が目立ちます。トランプ政権になって移民問題などがあらたに脚光を浴びているせいか、若い人たちの間でも人権問題は重要な話題になっているようです。

この日の進行役はパブリック・ラジオWNYCの番組ホスト、ジェイミーとブライアンです。様々な分野でアクティヴィストとして活動している人達の他、ハーレムの「ゴスペル・フォー・ティーンズ」のメンバーのショーなど娯楽も盛り込んだ賑やかなイベントとなりました。パネル・スピーカーとして何人か招かれましたが、その中でも、キング牧師と一緒に活動していたアクティビストのクラレンス・ジョーンズ氏の発言が印象的でした。

Clarence B. Jones, legal adviser to Martin Luther King Jr., takes notes behind King at a press conference regarding in Birmingham, Ala., in February 1963.

MLKのスピーチ・ライターで友人のクラレンス・ジョーンズ氏曰く、「アブラハム・リンカーン大統領と、1963に宣言された‘奴隷解放令’をのぞいて、過去400年の歴史において、キング牧師の1956-1968までの12年と4か月間、アメリカの正義のために闘った功績ほど偉大ものはない。」

 ジョーンズ氏は弁護士で、キング牧師の多くのスピーチの脚本を書いたライターとしても知られています。キング牧師は、貧困と闘った人なのだと言います。黒人だということだけで差別され、最低賃金しかもらえない末端の仕事にしかありつけない極貧の生活。当時、黒人は法律で白人と同じ権利を約束されていませんでした。社会構造を変えない限り、生活向上はあり得ない…….。1962年、キング牧師たちは時の大統領、ケネディに、黒人と白人を平等に扱うという内容の‘特別大統領命令’を発行してくれるよう嘆願しました。

FBI長官のJエドガー・フーヴァーは、キング牧師の公民権運動が広まるのを恐れ、彼に共産主義者というレッテルを貼って葬り去ろうと電話盗聴などあらゆる手を尽くしました。にもかかわらず、証拠となる材料が見つからず失敗……。大々的にデモ行進や全米での運動がメディアで取り上げられれば国も無視できなくなる…….、キング牧師とその支持者は非暴力による活動を続けました。バス・ボイコット運動、座り込み運動、各地での行進…….。キング牧師が率いる団体、南部キリスト教指導者同盟 Southern Christian Leaders Conference (SCLC)のほか、全国有色人種向上協会(NAACP)、学生中心の団体(SNCC)など、全米で運動が展開されてゆきました。

キング牧師のアドバイザーでもあったジョーンズ氏は、「あの日(キング牧師が暗殺された日)、メンフィスで合流する予定だった。これから空港に向かおうとしている時、電話が鳴っって、受話器の向こうから彼が射殺された、という声がした。その時、とうとう殺られたか、と怒りとショックが心をよぎった。」といいます。

「度重なる死の脅迫にも彼は屈しなかった。恐れを抱いていなかったのだと思う。‘神が見守ってくれている’がマーティンの口癖だった。あいつは本当に恐れを知らない、勇敢な男だった……..,he’s bad。」ジョーンズ氏の、今は亡き友への追悼の言葉でイベントは締めくくられました。

伊藤 弥住子

主催したラジオ局WNYCの番組ページで一部イベントが聞けます。https://www.wnyc.org/story/mlk-jr-day-remembrance-2018/

Cuba Gooding Sr. graces Apollo Theater stage one last time as family bids the singer farewell at memorial

日本語

Cuba Gooding Sr., the late R&B soul singer who sang lead vocals for the legendary “Main Ingredient”, was memorialized at the Apollo Theater on Saturday.

As lead vocalist of the Grammy nominated “Main Ingredient” since 1972, Cuba Sr. lifted the group to world prominence with such hit songs as “Everybody Plays The Fool,” “Just Don’t Want to be Lonely,” “Rolling Down a Mountainside,” “Happiness is Just Around the Bend,” “You’ve Got To Take It (If You Want It).” Other “Main Ingredient” chart-toppers were “You’ve Been My Inspiration,” “Spinning Around (I Must Be Falling in Love), “I’m So Proud” among many others.

Some 150 people, including his children Omar, April and Tommy, turned out for a heartfelt sendoff to the late Gooding at the landmark only blocks from his childhood Harlem home.


His son, Oscar-winning offspring Cuba Gooding Jr. did not attend the two-hour memorial, according to the family.

Gooding Sr. served as front man for The Main Ingredient, joining the band just in time for their biggest charting hits: “Everybody Plays the Fool” reached No. 3 in 1972, and “Just Don’t Want to Be Lonely” hit No. 10 in 1974.

Gooding Sr. was found dead April 20 inside his silver Jaguar in the Woodland Hills section of Los Angeles in the middle of the afternoon.

The cause of death remains under investigation, with reports indicating police suspected a drug overdose.

[伊藤弥住子レポート] R. Kelly ライヴ! ブルックリンで見て来ました!R. Kelly concert September 25, 2015 at Barclays Center in Brooklyn

r-kelly-in-the-audience Концерт R Kelly в Бруклине, Нью-Йорке

Read in English

新しいアルバム「The Buffet」を発表する予定のR. ケリーがブルックリンのバークレイズ・センターでコンサートを開催しました。もともと黒人率の高いエリアではありますが、この日は特別、シカゴのR&Bサグとして知られるRケリーのライヴとあって、ブラックのシスターとブラザーたちが結集、約観客の98パーセントを占めるという、ブラック度満点のイベントとなりました。さすがケルズ、ブラック・コミュニティでの支持率はダントツです。

前作、「ブラック・パンティーズ」という、いかにもケルズらしいエロいタイトルのアルバムのリリース後、そのプロモを兼ねたツアーがこの「ブラック・パンティーズ・ツアー」です。実は、コンサート当日の9月25日に新譜「ザ・ビュッフェ」を大々的にリリースする、という段取りだったらしいのですが、ファースト・シングルの「バックヤード・パーティー」の反応がイマイチ、というので先送りになったとのこと。

R Kelly at Barclays Center
会場が真っ暗になり、スポット・ライトを浴びてR. Kelly の登場!わたしたち女性軍は大興奮。相変わらずムキムキで鍛えたボディが美しい。会場は2万人近く収容できるブルックリンのBarclays Center, マジソン・スクウェア・ガーデンと同じくらいの大きさです。前から5列目というラッキーな席だったのでRケリーの顔もはっきり見えました。R. Kellyとコラボして株を上げたDJキャシディが私の真後ろに座っていました……..。

R Kelly and DJ Cassidy at Barclays Center
懐かしいヒット曲、IgnitionやI’m Loving You Tonight などを聴くと楽しい記憶が蘇ります。Jay-ZをフィーチャーしたFiestaリミックスはスクリーンのPVを観ながらふたりのバーチャル競演を体験。

トップノッチなコンサートで知られていたR. ケリーですが、今回のライヴはバンドもなし、ダンサーもなし、大道具も小道具もない、これといった演出もなく、とてもシンプルなもの。というか、かなりショボい。デビュー以来ずっと大好きだったアーティストで、毎回、爆音と花火でビデオ・スクリーンを破って本人が飛び出したり、檻の中に入って空中から吊るされて登場したり、とこれまでビッグ・スケールなパフォーマンスを展開することで知られていただけに、かなり、がっかりしました。 予算削減…….でしょうか。

衣装替えの間は前もって編集済みのビデオを上映。アイフォンがスクリーンに映し出され、「あなたの好きな 「R. ケリーのアルバム・タイトルは何?」といった稚拙な内容………。次のコスチューム・チェンジでは、本人のインタビュー映像を流したり……..。

RKelly_Webfeat_532x290
ファンが命、というケルズ、今度は客席に現れます。たくさんのセキュリティーに囲まれ、ロープを張ってオーディエンスの中に入って、「I Believe I Can Fly」をアカペラで歌いだします。お客さんにも参加を要請、みんなで大合唱したのはよかったのですが、「あれ、オンチのやつがいるよ」と言われてしまいました。

彼を有名にしたアルバム、「12 Plays」からのヒット曲 “Your Body’s Callin’,” “Bump n’ Grind,” “It Seems Like You’re Ready” も披露してくれましたが、ほんのサワリ程度であとはお客さんのカラオケ合唱……..、自分たちだけで歌っても、なんだか盛り上がらないですね。

フィナーレは「ハッピー・ピープル」と「ステップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」とピースフルな夕べを彩りました。なぜが最後は天井から紙吹雪が……….。これだけは、はっきり言って余計だったと思います。

伊藤 弥住子