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MLK(マーティン・ルーサー・キング牧師)没後50年、「叶わぬ夢…….?」50 Years After MLK – A Dream deferred


50 Years After MLK – A Dream deferred

1月14日の日曜日、ハーレムのアポロ劇場にて、マーティン・ルーサー・キング牧師の生誕を祝うイベントが開催されました。テーマは「50 Years After MLK – A Dream deferred」。

1968年4月4日、キング牧師は講演先の宿泊地、メンフィスのモーテルで暗殺されました。享年39歳。今年はあれから50年…….。いつか、人類みな平等の平和な世界が訪れる……、有名なスピーチ、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」の夢はいつ叶うのでしょうか。

例年になく寒さの厳しい、氷点下7度という日曜日の午後3時、アポロ劇場の前には長蛇の列が……。まるでクリス・ロックのツアーかと思ってしまうほど。でも、よく見ると白人やアジア人の若い人が目立ちます。トランプ政権になって移民問題などがあらたに脚光を浴びているせいか、若い人たちの間でも人権問題は重要な話題になっているようです。

この日の進行役はパブリック・ラジオWNYCの番組ホスト、ジェイミーとブライアンです。様々な分野でアクティヴィストとして活動している人達の他、ハーレムの「ゴスペル・フォー・ティーンズ」のメンバーのショーなど娯楽も盛り込んだ賑やかなイベントとなりました。パネル・スピーカーとして何人か招かれましたが、その中でも、キング牧師と一緒に活動していたアクティビストのクラレンス・ジョーンズ氏の発言が印象的でした。

Clarence B. Jones, legal adviser to Martin Luther King Jr., takes notes behind King at a press conference regarding in Birmingham, Ala., in February 1963.

MLKのスピーチ・ライターで友人のクラレンス・ジョーンズ氏曰く、「アブラハム・リンカーン大統領と、1963に宣言された‘奴隷解放令’をのぞいて、過去400年の歴史において、キング牧師の1956-1968までの12年と4か月間、アメリカの正義のために闘った功績ほど偉大ものはない。」

 ジョーンズ氏は弁護士で、キング牧師の多くのスピーチの脚本を書いたライターとしても知られています。キング牧師は、貧困と闘った人なのだと言います。黒人だということだけで差別され、最低賃金しかもらえない末端の仕事にしかありつけない極貧の生活。当時、黒人は法律で白人と同じ権利を約束されていませんでした。社会構造を変えない限り、生活向上はあり得ない…….。1962年、キング牧師たちは時の大統領、ケネディに、黒人と白人を平等に扱うという内容の‘特別大統領命令’を発行してくれるよう嘆願しました。

FBI長官のJエドガー・フーヴァーは、キング牧師の公民権運動が広まるのを恐れ、彼に共産主義者というレッテルを貼って葬り去ろうと電話盗聴などあらゆる手を尽くしました。にもかかわらず、証拠となる材料が見つからず失敗……。大々的にデモ行進や全米での運動がメディアで取り上げられれば国も無視できなくなる…….、キング牧師とその支持者は非暴力による活動を続けました。バス・ボイコット運動、座り込み運動、各地での行進…….。キング牧師が率いる団体、南部キリスト教指導者同盟 Southern Christian Leaders Conference (SCLC)のほか、全国有色人種向上協会(NAACP)、学生中心の団体(SNCC)など、全米で運動が展開されてゆきました。

キング牧師のアドバイザーでもあったジョーンズ氏は、「あの日(キング牧師が暗殺された日)、メンフィスで合流する予定だった。これから空港に向かおうとしている時、電話が鳴っって、受話器の向こうから彼が射殺された、という声がした。その時、とうとう殺られたか、と怒りとショックが心をよぎった。」といいます。

「度重なる死の脅迫にも彼は屈しなかった。恐れを抱いていなかったのだと思う。‘神が見守ってくれている’がマーティンの口癖だった。あいつは本当に恐れを知らない、勇敢な男だった……..,he’s bad。」ジョーンズ氏の、今は亡き友への追悼の言葉でイベントは締めくくられました。

伊藤 弥住子

主催したラジオ局WNYCの番組ページで一部イベントが聞けます。https://www.wnyc.org/story/mlk-jr-day-remembrance-2018/

70’s R&Bスター、キューバ・グディング Sr.アポロ劇場でお別れ会Cuba Gooding Sr. graces Apollo Theater stage one last time as family bids the singer farewell at memorial

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70年代に大活躍したR&Bグループ、メイン・イングリーディエンツのリード・シンガーだったキューバ・グディングSr.が4月20日に他界、この土曜日に生まれた街、ハーレムのアポロ劇場でお別れ会が開かれました。

彼の歌った大ヒット曲、「エブリバディ・プレイズ・ザ・フール」や、「ジャスト・ドント・ワント・トゥ・ビー・ロンリー」は今でも地元のラジオ局、WBLSでよくかかっています。他にも、「ローリング・ダウン・ア・マウンティンサイド」「ハピネス・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・ベンド」「ユー・ガット・トゥ・テイク・イット」「ユー・ビーン・マイ・インスピレーション」「スピニング・アラウンド」などヒット曲がたくさんあります。

グループ名の「メイン・イングリーディエンツ」って何だか変だなぁという印象をもっていたのですが、当時のコカ・コーラの瓶に書いてあったラベルから取ったというのを聞いて納得。だいたい、主成分なんて変ですよね。当時は思いつきでグループ名を決めていたようです。

 

キューバ・グディングが生まれたのは、アポロ劇場から数ブロック先。有名なアポロ劇場の「アマチュア・ナイト」に出場して「フーキャン・アイ・ターン・トゥ」を歌って拍手喝さい、スタンディング・オベーションで優勝した記録が残っています。

土曜日のアポロ劇場での「お別れ会」には、家族のエイプリル、オマー、トミーを始め、約150人の弔問客が集まりました。なぜか、キューバの息子で同名のオスカー受賞俳優のキューバ・グディング・ジュニアは欠席……..。

キューバ・グディング・シニアの死が発覚したのは4月20日、ロサンジェルスの繁華な通り、ウッドランド・ヒルに路上駐車したジャガーの中で死亡しているのが見つかりました。死因は不明ですが、警察の調べでは薬物によるオーバードースの確立が高いとのこと。

R.I.P.

[伊藤弥住子レポート] R. Kelly ライヴ! ブルックリンで見て来ました!R. Kelly concert September 25, 2015 at Barclays Center in Brooklyn

Концерт R Kelly в Бруклине, Нью-Йорке

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新しいアルバム「The Buffet」を発表する予定のR. ケリーがブルックリンのバークレイズ・センターでコンサートを開催しました。もともと黒人率の高いエリアではありますが、この日は特別、シカゴのR&Bサグとして知られるRケリーのライヴとあって、ブラックのシスターとブラザーたちが結集、約観客の98パーセントを占めるという、ブラック度満点のイベントとなりました。さすがケルズ、ブラック・コミュニティでの支持率はダントツです。

前作、「ブラック・パンティーズ」という、いかにもケルズらしいエロいタイトルのアルバムのリリース後、そのプロモを兼ねたツアーがこの「ブラック・パンティーズ・ツアー」です。実は、コンサート当日の9月25日に新譜「ザ・ビュッフェ」を大々的にリリースする、という段取りだったらしいのですが、ファースト・シングルの「バックヤード・パーティー」の反応がイマイチ、というので先送りになったとのこと。

懐かしいヒット曲、IgnitionやI’m Loving You Tonight などを聴くと楽しい記憶が蘇ります。Jay-ZをフィーチャーしたFiestaリミックスはスクリーンのPVを観ながらふたりのバーチャル競演を体験。

トップノッチなコンサートで知られていたR. ケリーですが、今回のライヴはバンドもなし、ダンサーもなし、大道具も小道具もない、これといった演出もなく、とてもシンプルなもの。というか、かなりショボい。デビュー以来ずっと大好きだったアーティストで、毎回、爆音と花火でビデオ・スクリーンを破って本人が飛び出したり、檻の中に入って空中から吊るされて登場したり、とこれまでビッグ・スケールなパフォーマンスを展開することで知られていただけに、かなり、がっかりしました。 予算削減…….でしょうか。

衣装替えの間は前もって編集済みのビデオを上映。アイフォンがスクリーンに映し出され、「あなたの好きな 「R. ケリーのアルバム・タイトルは何?」といった稚拙な内容………。次のコスチューム・チェンジでは、本人のインタビュー映像を流したり……..。

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ファンが命、というケルズ、今度は客席に現れます。たくさんのセキュリティーに囲まれ、ロープを張ってオーディエンスの中に入って、「I Believe I Can Fly」をアカペラで歌いだします。お客さんにも参加を要請、みんなで大合唱したのはよかったのですが、「あれ、オンチのやつがいるよ」と言われてしまいました。

彼を有名にしたアルバム、「12 Plays」からのヒット曲 “Your Body’s Callin’,” “Bump n’ Grind,” “It Seems Like You’re Ready” も披露してくれましたが、ほんのサワリ程度であとはお客さんのカラオケ合唱……..、自分たちだけで歌っても、なんだか盛り上がらないですね。

フィナーレは「ハッピー・ピープル」と「ステップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」とピースフルな夕べを彩りました。なぜが最後は天井から紙吹雪が……….。これだけは、はっきり言って余計だったと思います。

伊藤 弥住子

 

 

うどんと鍋の店「なべハーレム」、テディ・ライリーの地元に誕生!No Diggity, Nabe Harlem!

Nabe_udon
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King of New Jack Swing, Teddy Rileyが育った地元St. Nicks Houses の真向いに鍋の店、「なべハーレム」が開店したのです。

まさかこんな日が来るとは思いませんでした。鍋専門店がハーレムに出現したのです。それも、真夏に………….。

「Nabe Harlem」という店がオープンすると聞いたのは昨年の冬。まさか…..、Nabe といっても日本語の鍋ではなくて、きっと外国語で違う意味なのだろう、くらいにしか思っていなかったのですが、ついにそのお店が開店しました。カンカン照りの暑い週末の午後、行ってきました。

Larry_Nabe
なんと、黒人オーナーのラリーさん6年間大阪に住んでいたことがあるそうです。関西弁が喋れるブラザーのお店で日本食が食べれるなんて、ファンキーですね。でも鍋料理専門店のつもりだったのが、設備が間に合わず、とりあえずうどんと蕎麦をメインにサーヴしているそうです。ラリーさん曰く、「ま、日本のラーメンがチーズ・バーガーなら、さしずめ、うどんはステーキってところかな。」いやぁ、ちょっと違うような…….。まぁ、「庶民的な日本食の魅力」をハーレムのみなさんにアピールしてくれているのは喜ばしいことです。

St. Nicks
ロケーションは、ニュー・ジャック・スウィングの生みの親、テディ・ライリーが育ったプロジェクト、セント・ニコラス・ハウジズの真向い、127 St. とFrederick Douglass Blvd.です。一階が鍋・うどん屋「ナベ・ハーレム」で地下がライヴ・スペース「ナベ・アンダーグラウンド」です。地下では、日替わりでジャズ、ソウル、ヒップホップなどが楽しめます。コメディ・ナイトもあるらしいのでスケジュールをチェックしてみてください。

日本で育ったグルメ(?)な私たちにしてみれば、いろいろ不満なこともありますが、この場所でうどんやそばが食べられて、ウィークエンド・ブランチにライヴ演奏が聴けるだなんて、夢のようです。ハーレムがモダンになったとはいえ、まだまだこのあたりは開発途上、そのゲトーなエリアに日本食のお店をだすだなんて、その勇気に感動。うどんはまぁまぁ、といった感じですが大学芋風な小芋のアピタイザーがなかなかイケます。レイドバックな雰囲気がなかなかナイス。

Nabe_sign

Nabe Harlem
2367 Frederick Douglass Blvd New York, NY 10027  Map