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祝マーティン・ルーサー・キング・デー 2019

Martin Luther King Day 2019

1/21(月)はマーティン・ルーサー・キング・デー、公民権運動活動家の代表、マーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日を祝う祭日です。

1968年4月4日、39歳で暗殺された黒人牧師、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(MLK Jr.)が生まれたのは1929年1月15日。本来ならば、本日1/15に祝うべきですが、1月の3週目の月曜日を正式な祝日とする取り決めに従い、今年は来週の月曜日、1/21がその日にあたります。学校、及び、公共の機関はお休みになります。

ところで、MLK Jr.の本名はマイケル・キングだったそうです。知っていましたか。以前にも、このサイトで取り上げたことがあります。過去の記事を抜粋しましたので、以下、ご参照下さい。

キング牧師、名義変更の本当の理由

余談ですが、キング牧師の本名はマイケル・キングです。なぜ、マイケルがマーティンになったのでしょう。その背景を調べてみました。

父親のマイケル・キング・シニアは、やはりバプティスト教会の牧師でした。1934年、アメリカ・バプティスト教会代表団の一員として、ヒトラーの統治下のドイツを訪れました。当時、ベルリンの教職者たちの間では、たばこも吸わない、酒も飲まないヒトラーを模範的クリスチャンとして好意的に受け入れていた、という記録が残っているそうです。ナチス・ドイツの旅から故郷のアトランタに戻ってきたキング・シニアは、ドイツの有名な宗教改革者、マルティン・ルーター(Martin Luther 1483 – 1546)の偉業にいたく感銘し、自分の名前をマイケル・キングからマーティン・ルーサー・キングと改名しました。その頃、家族の間ではリトル・マイクと呼ばれていた5歳児の長男、マイケル・キング・ジュニアも、父の改名に伴い、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと名乗るようになったのだそうです。

MLK(マーティン・ルーサー・キング牧師)没後50年、「叶わぬ夢…….?」50 Years After MLK – A Dream deferred


50 Years After MLK – A Dream deferred

1月14日の日曜日、ハーレムのアポロ劇場にて、マーティン・ルーサー・キング牧師の生誕を祝うイベントが開催されました。テーマは「50 Years After MLK – A Dream deferred」。

1968年4月4日、キング牧師は講演先の宿泊地、メンフィスのモーテルで暗殺されました。享年39歳。今年はあれから50年…….。いつか、人類みな平等の平和な世界が訪れる……、有名なスピーチ、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」の夢はいつ叶うのでしょうか。

例年になく寒さの厳しい、氷点下7度という日曜日の午後3時、アポロ劇場の前には長蛇の列が……。まるでクリス・ロックのツアーかと思ってしまうほど。でも、よく見ると白人やアジア人の若い人が目立ちます。トランプ政権になって移民問題などがあらたに脚光を浴びているせいか、若い人たちの間でも人権問題は重要な話題になっているようです。

この日の進行役はパブリック・ラジオWNYCの番組ホスト、ジェイミーとブライアンです。様々な分野でアクティヴィストとして活動している人達の他、ハーレムの「ゴスペル・フォー・ティーンズ」のメンバーのショーなど娯楽も盛り込んだ賑やかなイベントとなりました。パネル・スピーカーとして何人か招かれましたが、その中でも、キング牧師と一緒に活動していたアクティビストのクラレンス・ジョーンズ氏の発言が印象的でした。

Clarence B. Jones, legal adviser to Martin Luther King Jr., takes notes behind King at a press conference regarding in Birmingham, Ala., in February 1963.

MLKのスピーチ・ライターで友人のクラレンス・ジョーンズ氏曰く、「アブラハム・リンカーン大統領と、1963に宣言された‘奴隷解放令’をのぞいて、過去400年の歴史において、キング牧師の1956-1968までの12年と4か月間、アメリカの正義のために闘った功績ほど偉大ものはない。」

 ジョーンズ氏は弁護士で、キング牧師の多くのスピーチの脚本を書いたライターとしても知られています。キング牧師は、貧困と闘った人なのだと言います。黒人だということだけで差別され、最低賃金しかもらえない末端の仕事にしかありつけない極貧の生活。当時、黒人は法律で白人と同じ権利を約束されていませんでした。社会構造を変えない限り、生活向上はあり得ない…….。1962年、キング牧師たちは時の大統領、ケネディに、黒人と白人を平等に扱うという内容の‘特別大統領命令’を発行してくれるよう嘆願しました。

FBI長官のJエドガー・フーヴァーは、キング牧師の公民権運動が広まるのを恐れ、彼に共産主義者というレッテルを貼って葬り去ろうと電話盗聴などあらゆる手を尽くしました。にもかかわらず、証拠となる材料が見つからず失敗……。大々的にデモ行進や全米での運動がメディアで取り上げられれば国も無視できなくなる…….、キング牧師とその支持者は非暴力による活動を続けました。バス・ボイコット運動、座り込み運動、各地での行進…….。キング牧師が率いる団体、南部キリスト教指導者同盟 Southern Christian Leaders Conference (SCLC)のほか、全国有色人種向上協会(NAACP)、学生中心の団体(SNCC)など、全米で運動が展開されてゆきました。

キング牧師のアドバイザーでもあったジョーンズ氏は、「あの日(キング牧師が暗殺された日)、メンフィスで合流する予定だった。これから空港に向かおうとしている時、電話が鳴っって、受話器の向こうから彼が射殺された、という声がした。その時、とうとう殺られたか、と怒りとショックが心をよぎった。」といいます。

「度重なる死の脅迫にも彼は屈しなかった。恐れを抱いていなかったのだと思う。‘神が見守ってくれている’がマーティンの口癖だった。あいつは本当に恐れを知らない、勇敢な男だった……..,he’s bad。」ジョーンズ氏の、今は亡き友への追悼の言葉でイベントは締めくくられました。

伊藤 弥住子

主催したラジオ局WNYCの番組ページで一部イベントが聞けます。https://www.wnyc.org/story/mlk-jr-day-remembrance-2018/

MLK Day Celebration : Stevie Wonder helped create Martin Luther King day?

Martin-Luther-King-Day3Martin Luther King, Jr. Day
ДЕНЬ МАРТИНА ЛЮТЕРА КИНГА

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January 18th is an American federal holiday marking the birthday of Martin Luther King, Jr. It is observed on the third Monday of January each year, which is around King’s birthday, January 15.

MLK
King was the chief spokesman for nonviolent activism in the Civil Rights Movement, which successfully protested racial discrimination in federal and state law. The campaign for a federal holiday in King’s honor began soon after his assassination in 1968. President Ronald Reagan signed the holiday into law in 1983, and it was first observed three years later.

Did you know that Stevie Wonder is the one of people who helped create Martin Luther King day?

On the evening of April 4, 1968, teen music sensation Stevie Wonder was dozing off in the back of a car on his way home to Detroit from the Michigan school for the Blind, when the news crackled over the radio: Martin Luther King Jr. had just been assassinated in Memphis. His driver quickly turned off the radio and they drove on in silence and shock, tears streaming down Wonder’s face.

Five days later, Wonder flew to Atlanta for the slain civil rights hero’s funeral, as riots erupted in several cities, the country still reeling. He joined Harry Belafonte, Aretha Franklin, Mahalia Jackson, Eartha Kitt, Diana Ross and a long list of politicians and pastors who mourned King, prayed for a nation in which all men are created equal and vowed to continue the fight for freedom.

Wonder was still in shock—he remembered how, when he was five, he first heard about King as he listened to coverage of the Montgomery bus boycott on the radio. “I asked, ‘Why don’t they like colored people? What’s the difference?’ I still can’t see the difference.” As a young teenager, when Wonder was performing with the Motown Review in Alabama, he experienced first-hand the evils of segregation – he remembers someone shooting at their tour bus, just missing the gas tank. When he was 15, Wonder finally met King, shaking his hand at a freedom rally in Chicago.

At the funeral, Wonder was joined by his local representative, young African-American Congressman John Conyers, who had just introduced a bill to honor King’s legacy by making his birthday a national holiday. Thus began an epic crusade, let by Wonder and some of the biggest names in music – from Bob Marley to Michael Jackson – to create Martin Luther King Day.

To overcome the resistance of conservative politicians, including President Reagan and many of his fellow citizens, Wonder put his career on hold, led rallies from coast to coast and galvanized millions of Americans with his passion and integrity.

But it took 15 years.

 

“Happy Birthday,” a song celebrating King’s life was composed by Stevie Wonder. He held onto it until “the movement for the holiday was gaining steam,” and made it the centerpiece of his album, Hotter Than July released in 1980.

差別と戦った日系人公民権運動家ユリ・コウチヤマをハーレム・アポロシアターがトリビュート The Apollo and WNYC honored the legacy of Japanese American civil rights activist Yuri Kochiyama

Yuri Kochiyama READ IN ENGLISH Happy MLK Day! 1月の第三月曜日、つまり今日19日はMLKことMartin Luther King Jr. Day(キング牧師デー)アメリカ公民権運動のリーダーで1968年に暗殺されたキング牧師を讃える日。特に今年は選挙権の人種による差別を禁じる連邦法Voting Rights Actが成立して50年という記念すべき年でもあります。アメリカの黒人は奴隷制解放の後も100年以上選挙権がもらえなかっただけでなく、あらゆる差別や不条理や貧困の中で生きて来た、それと戦ったのが公民権運動です。 日本からは遠い話に聞こえるかもしれませんが、実は人ごとではないです。 公民権運動がなかったら私たち日本人もこうやってニューヨークで幸せに暮らしたり、楽しく観光することもできなかったのですから ともあれ多くの催しの中から、今日は特に日本人と公民権運動とのつながりを実感させてくれたハーレム・アポロシアターで行われたイベントをご紹介しましょう。 アポロシアターのイベント「Hear Our Voices, Count Our Votes」 103937458 MLK DAYの前日行われたのがニューヨーク市営のラジオ局WNYCの主催のイベント「Hear Our Voices, Count Our Votes」。この日は朝から大雨のあいにくのお天気でしたが、アポロシアターには家族連れなど子供からお年寄りまでがぎっしり。黒人だけでなく白人やアジア人の姿も。キング牧師のレガシーを未来に伝えて行こうという強い意志が感じられます。 ニューヨークの著名なジャーナリスト、政治家、アクティビストらが50年の歴史を振り返りながら、話題は現在の問題、依然低い黒人の投票率や警察とブラック・コミュニティの関係をどうやって改善するか・・・などにも及びました。 イベントの一部はラジオ局のサイトで聞く事ができます。 http://www.wnyc.org/story/hear-our-voices-count-our-votes/ 公民権運動家ユリ・コウチヤマさん 中でも日本人として注目したいのは、公民権運動に大きな力となった女性たちへのトリビュート。いずれも去年亡くなった大女優ルビー・ディー、オバマ大統領の就任式にも登場した国民的詩人のマヤ・アンジェルーに混じってその偉業を讃えられたのは日系人の運動家ユリ・コウチヤマさんでした。 2-300x220 今回ステージに立ったのは孫のアケミ・コウチヤマさん。カリフォルニア生まれの日系アメリカ人であるユリ・コウチヤマさんが、第二次世界大戦中はアーカンソーの日系人収容所に送られたこと。戦後はニューヨーク・ハーレムに移り公民権運動に参加し特にマルコムXを支援、彼が銃弾に倒れた時その体を支えた事などを語ると、ユリさんを知らない若い世代の聴衆は大きく息を飲んでいました。 IMG_4011 今年は第二次世界大戦が終わって70年。アメリカ人でありながら「敵」としてすべてを失い収容所に送られるという不条理な体験をしたのみならず、南部の厳しい人種差別に直面し公民権運動家になったユリさんは、まさに激動の歴史は互いにつながっていることを教えてくれます。 プエルトリコの独立運動、反核、政治犯の釈放などあらゆる不平等や不当な行為と戦い続け、去年の6月、93年の波乱の生涯を閉じました。 今も世界中で続く人種間の軋轢。多くのテロ事件も人種差別や偏見と大きくかかわっています。奴隷制という人類史上最悪の負の遺産と、黒人はどう戦って来たのか? 公民権運動の歴史を知る事は、たった今の世界を理解することでもあります。 (シェリーめぐみ)