Monthly Archives: October 2011

Absolute Funk ジョージ・クリントン「追悼」イベント アポロ劇場で開催!

ジョージ・クリントンの追悼イベントが10月25日アポロ劇場で開かれました。え?追悼……?まだ健在のはずなのに…….。

よく聞いてみたらジョージ・クリントンの業績を讃えるチャリティー・イベントだとのこと。ニューヨークの医療保険制度が危機に瀕しているというので各イベントを開催してその収益をシステム改善費用に充てるというのが目的だとか。各企業から寄付を募り、NYのブラック・ステーション、KISS FMが宣伝役をかってでました。

会場のアポロ劇場へはタイムズ・スクウェアから地下的 A Trainに乗って2つめの駅125丁目で下車します。開演は8時。まずはTye Tribbett率いるゴスペル・バンドが登場し、軽くウォーム・アップします。ショーの合間にビデオ・スクリーンでジョージ・クリントンとパーラメント・ファンカデリックのインタビュー・クリップやコメディアンのコメントなどが流れます。何と、今年でジョージ・クリントンはデビュー50周年を迎えたのだそうです。

クリス・ロックによると、ジョージ・クリントンは本人が死ぬ前に必ず見ておかないといけないアーティストなのだとか…….。「ジェームス・ブラウンも死んじゃったし、リック・ジェームス、バリー・ホワイト、アイザック・ヘイズも死んじゃった。あのマイケル・ジャクソンも死んじゃった。残っているのはジョージ・クリントンとプリンスだけ。」

この日のパフォーマーはフル・フォース、ノーナ・ヘンドリックス、ポール・シェーファー&クエスト・ラヴ、シーラE、ブーツィー・コリンズ、バーニー・ウォレル、ヴァーノン・リードなど錚々たる顔ぶれ。

ショーの進行役はキスFMのパーソナリティー、バグジィーです。「今日はPファンクのゴッドファーザー、ジョージ・クリントンも駆けつけてくれました。」というアナウンスが………。ふと見ると、アポロのステージ右手のロイヤル・ボックス席にあの伝説のジョージ・クリントン本人がいるではありませんか!トレードマークだった七色のヒッピー・ヘアをぷっつりと切り落とし、グリーンのピンプがかぶるような羽のついた帽子を被り、赤シャツにダーク・スーツと抑えたファッションではありますがギャングスターの親分といった貫禄があります。隣りには長年サイド・キックを務めてきたベーシストのブーツィー・コリンズが、カラフルな山高帽に星形のサングラス姿で座っていました。


ビデオ・スクリーンには、ジョージ・クリントンの「Atomic Dog」をサンプルしたおかげで大ヒットになったというコメントつきで、Dr. Dre プロデュースによるスヌープ・ドッグの「Who Am I (What’s My Name) ?」の音と映像が流れました。パーラメント・ファンカデリックの音楽は多くのヒップホップ・アーティストに引き継がれて今日に至っている、つまり、創始者のジョージ・クリントンはヒップホップ界のゴッドファーザーでもある、というような内容のナレーションでした。
パティ・ラベル、サラ・ダッシュとともに LaBelle のメンバーとして活躍していたノーナ・ヘンドリックスが昔と変らないスリムな姿で表れ、パフォーマンスを披露、ロイヤル・ボックスにいるジョージ・クリントンに敬意を表しました。
TV人気トーク番組、「ディヴィッド・レターマン・ショー」のハウスバンドのリーダー、ポール・シェーファーがファンキーなドラマー、ルーツのクエスト・ラヴを伴ってライヴを繰り広げます。ポールは白人ですが、ブルース・ブラザースの音楽を担当したほか、これまで多くのブラック・ミュージシャンとのコラボ経験があります。大好きなPファンクとあっておもいきりグルーヴィーなサウンドでアピール、アポロの観客にも認められていたようです。
リビング・カラーのメンバ−だったヴァーノン・リードによる「Maggot Brain」や、キーボード・プレーヤーのバーニー・ウォレル演奏のビートルズのヒット曲、「Come Together」、そしてPファンクの名曲、「Flashlight」……..、まさに funked out という表現がぴったりです。
久々に見るシーラEが若くて美しいのにはビックリ。Pファンク・ファンなら誰でも大好きな曲、「 Give Up the Funk 」をパーカッションを叩きながら歌います。比較的年齢層の高いオーディエンスも、 We want the funk と全員総立ちで歌いまくりました。
いよいよ、特別ゲストのブーツィー・コリンズの出番が回ってきました。準備万端、真っ赤でキラキラ光る衣装に着替えたブーツィーがステージの袖で控えているのが見えます。ところがなかなかステージに出てきません。何かハプニングがあったようです。エンジニアらしきスタッフがアンプをチェックしていますが渋い表情で首を振っています。しばらくしてブーツィーが登場、「故障してベースが使えないんだ。でもショーは続けよう!」とベースを弾くジェスチャーをしながらパフォーマンスをしました。
いよいよ大御所、ゴッドファーザー・オブ・ファンクの登場です。パーラメント・ファンカデリックは昔からステージにたくさんミュージシャンが集まってジャムセッションをすることで知られています。ヒップホップDJの草分け、クール・ハークをはじめ、ヒップホップ界のパイオニア、ファブ5フレディ、出たがり大学教授、コーネル・ウエストなどたくさんの人が駆けつけてくれて、フィナーレに近くなる頃には舞台に50人以上の人たちがひしめき合っていました。出演者全員が舞台に集合、One Nation Under A Groove を大合唱、まさにアポロ劇場がワン・ネーションと化したファンキーな夕べとなりました。
P.S. このあと出演者たちのアフター・パーティーがミッドタウンのタイム・ホテルで行われ、レディ・ガガも遊びに来ていたとのこと。

( 伊藤弥住子)

Absolute Funk : Honoring George Clinton

On Tuesday, October 25, STAT! For New York City’s Public Hospitals! and KISS FM hosted a tribute to legendary musician George Clinton, the “Godfather of Funk,” at the Apollo Theater.
It was one city under a groove in this all-star tribute to George Clinton aka ‘Dr. Funkenstein’ founder of Parliament Funkadelic, under the musical direction of Ray Chew Live (American Idol, BET Awards, Showtime at the Apollo). We celebrated George and his 50 years in the funk and soul business with an amazing variety of P-Funk friends, musical collaborators, and other guests. The evening will also commemorate the lives of Parliament/Funkadelic members no longer with us.

Featured performers were Paul Shaffer, Nona Hendryx, Vernon Reid, Full Force, Sheila E., Tye Tribbett, Questlove, Kim Burrell, Bootsy Collins, Bernie Worrell, and more. Tribute video conceived and produced by Reginald Hudlin and Vivian Scott Chew.

 

Nick Ashford逝去!

おしどり夫婦として親しまれていたR&Bデュオ、ニック・アッシュフォード&ヴァレリー・シンプソンの片割れ、ニック・アッシュフォードが喉頭がんのため8月22日に亡くなりました。享年69歳。ニックとヴァレリーはライター&プロデューサーとしてモータウン・レコードと契約、マービン・ゲイ、ダイアナ・ロス、タミー・テレルなどにヒット曲を提供したほか、自分たち名義で1984年に「ソリッド」などのスマッシュ・ヒットを放ちアーティストとしても大活躍をしました。メソッドマンとメアリー・J・ブライジの1995年の大ヒット曲、「You Are All I Need」も実は彼等の作品をサンプルしています。当時、ニューヨーク・タイムズに「今年の夏イチオシのビッグ・ヒット」として紹介記事が掲載されました。ヴァレリー・シンプソンは、その時の心境を次のように語っています。「アッシュフォード&シンプソンがオリジナルという表記がなくとても憤慨しました。でも、銀行口座の残高をみたらそんなことどうでもよくなりました…….。」

日本にまで伝わっていたかどうか知りませんが、アッシュフォード&シンプソンの仲の良さは有名で、「Nick & Val」と言えば仲良し夫婦をさす代名詞でした。 知り合ったのは1963年といいますから今から48年も前のことです。ニックはサウス・キャロライナの出身ですが、ミシガンのバプティスト教会でクワィアーのミュージシャンとして活動していたこともあります。もともとダンサー志望、ニューヨークで一旗揚げようと上京(アメリカではこんないい方しないですよね)したのはいいのですがうまくいかず、公園で寝ることも多くホームレスまがいの生活をしていたといいます。教会に行けばご飯が食べられると思い、ハーレムにあるWhite Rock Baptist Churchに行きました。そこで、聖歌隊のメンバーだったヴァレリー・シンプソンと初めて会ったのだそうです。運命の出会いでした。

アッシュフォード&シンプソン(A&S) はその最近までずっと音楽活動を続けていました。新しいビッグ・ヒットは出ませんでしたが、ヴァレンタイン・デーや母の日などのオールディース・ショーやイベント行事が多く、全米各地でパフォーマンスをしています。NYのブラックFMステーション、KISS FMで番組のホストをしていた時期もあります。ニックのユニークでワイルドなルックスはメディアでもよく取り上げられ、ふたりを「美女と野獣」と称することもありました。私もNYでのショーは何度か見たことがあります。バリー・ホワイト、ボビー・ウーマック、グラディス・ナイトといった昔の仲間たちとの共演も多かったようです。

20/20 & Sugar Bar

 

ふたりはニューヨークを拠点にしていました。80年代にレストラン経営にも乗り出し、マンハッタンの20丁目に「20/20(トゥウェンティ・トゥウェンティ)」というライブ設備のあるレストラン・バーをオープン、ホィットニー・ヒューストンの誕生パーティーをしたり、R&B界のセレブが集まるお店として一世を風靡しました。R&B/ソウル・アーティストのショーを定期的に開催していて、私もマーサ・ワッシュ、フレディ・ジャクソン、パティ・ラベルなどを見た記憶があります。その後90年代になってからだと思いますが、アップタウンの72丁目に「シュガー・バー」というライヴ・ハウス/レストランを開店し、ここでは毎週木曜日、アポロのアマチュア・ナイトのような素人のど自慢大会を始めたのです。素人といってもここはニューヨーク。プロ顔負けの実力のあるシンガーばかりです。レベルの高さには驚きました。レコード会社がこれからデビューさせる新人のお披露目の場として使うこともありました。いつ行っても必ずミュージシャンやスターに会えるスポット、それが「シュガー・バー」でした。

ニック・アッシュフォードのメモリアル(葬儀)は8月29日、ハーレムにあるアビシニアン・バプティスト教会で執り行われました。ヴァレリーとの間にニコール、エィジアというふたりの娘さんがいます。ハーレムにゆかりのあるアーティストがまたひとり減ってしまったのは何とも寂しい限りです。

R.I.P.

(伊藤弥住子)

One-half of legendary Motown songwriting duo Ashford & Simpson dies at 69

Nick Ashford, one-half of the legendary Motown songwriting duo Ashford & Simpson that penned elegant, soulful classics for the likes of Diana Ross and Marvin Gaye and funk hits for Chaka Khan and others, died Monday, August 22 at age 69. He had been suffering from throat cancer and had undergone radiation treatment.

Born May 4, 1942, in Fairfield, South Carolina, Nick spent time in Michigan as a child, yet kept that friendly Southern charm. Nick arrived in New York in 1964, only to discover his money was short lived.  Nick recalled of those lean days where he occasionally found himself sleeping on a park bench. One day someone told him about a Church in Harlem where he could go and get fed, so he started going there. That is where he first saw Valerie singing and playing the piano. He continued to frequent the White Rock Baptist Church where eventually he and Valerie Simpson became musical collaborators.

Though they had some of their greatest success at Motown with classics like “Ain’t No Mountain High Enough” and “Reach Out And Touch Somebody’s Hand” by Ross and “You’re All I Need To Get By” by Gaye and Tammi Terrell, Ashford & Simpson also created anthems for others, like “I’m Every Woman” by Khan (and later remade by Whitney Houston).

The duo left Motown in ’73, in part because the label refused to release an album of them performing A&S songs that had made other artists famous. In 1974 Ashford & Simpson married and launched a recording career with Warner Bros. via the album Gimme Something Real.

Minor hits followed, including “Don’t Cost You Nothin’” (1977), “It Seems to Hang On” and “Is It Still Good to Ya” (1978), “Found a Cure” (1979), “Street Corner” (1982) and their biggest single by far, “Solid” (1984), which nearly cracked the pop Top 10. The song and album of the same name topped respective R&B charts that year as well.

Four more discs followed, culminating in 1996’s The Real Thing, but by then Ashford & Simpson were more focused on charitable work and restaurant endeavors. Ashford had a small role in the 1991 film New Jack City, while the duo’s reputation got a shot of modernity late last decade, when “Ain’t No Mountain High Enough” was used as the template for now deceased Amy Winehouse‘s “Tears Dry on Their Own.”

 

Frankie Crocker

FMラジオ界のレジェンド フランキー・クロッカー

Frankie Crocker WBLS

WBLS 107.5

「フランキー・クロッカーのFM番組じゃなかったらラジオじゃない。」と言い切ったのがフランキー‘ハリウッド’クロッカー。NYのFMステーション、 WBLS の名物パーソナリティーで、やがて同ステーションのプログラム・ディレクターとして手腕を発揮した人物です。アクが強く、その派手なふるまいは親しみとちょっぴり嘲笑をこめて‘ハリウッド’と呼ばれるようになりました。

Frankie Crocker, The Chief Rocker
自称、「すらりと背が高く日焼けした若くてカッコいいソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」、そのエゴの強さで敵も作りましたがしっかり業績 を挙げたことはさまざまな数字が証明しています。

まだ局のスタイルを確立することができなかった70年代初期、「アーバン・コンテンポラリー」という路線をはっきりと打ち出し、レイティングで苦戦していたWBLSをニューヨークのナンバー・ワン・ステーションに育て上げたのです。まだアメリカで知られていないアーティストをブレイクさせることに全力を注ぎ、なんと30以上ものアーティストをスターの座へと導いたことはよく知られています。

Soul Makossa
今では夏の風物詩とまでいわれるアフリカ・ミュージック、「ソウル・マコッサ」もその一例。カメルーン出身のマヌゥ・ディバンゴのオリジナル曲ですが、アメリカではまったく知る人はいませんでした。ニューヨークのダウンタウンで異色のパーティー「ザ・ロフト」のDJ、ディヴィッド・マンクーサがブルックリンのウェスト・インディーズ(カリブ)・レコード店で偶然見つけたのがこのディバンゴの「ソウル・マコッサ」です。ザ・ロフト自体はごく一部のオタク的ダンス・ミュージック・ファンが個人のアパートに集まって楽しむという「クラブ」のハシリといったパーティーでした。好奇心が旺盛で常に「新人発掘」を狙っていたフランキーは当時一世を風靡していたセレブばかりが集う Studio 54 だけでなく、「ザ・ロフト」のようなカルト的なパーティーもまめにチェックしていたのです。そこで初めて聴いたのが「ソウル・マコッサ」で、さっそくWBLSでかけたところ大反響。レコードがリリースされた翌年の1973年までには大ヒットになってしまったのです。

他にもフランキーにまつわるエピソードはたくさんあります。さっそうと白馬にまたがってクラブStudio 54 に現れたかと思ったら、今度は自分のヌード写真をWBLSの宣伝ポスターとしてニューヨークの街中に貼って人々の度肝を抜く………。ナルシストで派手好きなフランキーは「裏方」というこれまでのプログラム・ディレクターの概念を覆してしまいました。同時に、音楽を愛する仕事熱心なラジオ・マンという側面ももっている人でした。

Curtis Mayfield
あれは忘れもしない1990年の8月13日、ブルックリンでライヴ・ショーを開催した時のことです。「マーティン・ルーサー・キング・ミュージック・フェスティヴァル」と題した無料コンサートの最中、おりからの暴風雨によって屋外ステージの照明が落下、なんとこれからパフォーマンスが始まるという時に舞台に登場したカーティス・メイフィールドの頭上に的中してしまったのでした。他にクルーが3人被害に遭いましたが軽症ですんだようです。そのニュースを真っ先に伝えてくれたのがWBLSのフランキー・クロッカーでした。当時1歳7ヶ月の幼児をかかえていた私は自宅で仕事をすることが多く、WBLSばかり聞いていました。ハーレムのドラッグ・ディーラーが主人公の映画、「スーパー・フライ」のサントラを手がけたカーティス・メイフィールドはソウル/R&Bファンの間ではプロデュサー、ヴォーカリスト、ソングライター、すべての面でとても高く評価されています。私は彼がソロに転向する前のThe Impressions時代から大好きだったのでその時のショックはかなり大きなものでした。事故の翌日の8月14日、WBLSを聞いていたら、フランキー・クロッカーがカーティス・メイフィールドの入院先の病院、ブルックリンのキングス・カウンティ・ホスピタルの主治医に直接電話を入れ、病状についてのインタビューを生のまま放送したのです。まるで現在のCNNのアンダーソン・クーパーのように緊迫した現場から生中継をしたのです。経過は思わしくないようでした。ハラハラして見守るしかすべのない私たちファンにとっては「下半身麻痺の可能性が高い」「回復の見込みは未定」といった医者の言葉ひとつひとつが胸に突き刺さりました。合間に流れる “People Get Ready” “Gypsy Woman” といったカーティスの過去のヒットを聞きながらその無事を祈ったものでした。

フランキー・クロッカーとは直接会う機会があり話をしたことがありますが、いい意味でも悪い意味でもとても「アグレッシブ」な人だと思いました。なにせ、月曜から木曜はニューヨークのWBLSでプログラム・ディレクターを務め、週末はカルフォルニアの別のステーションのコンサルティングをしたり、映画に出演したりとハチャメチャなスケジュールなのです。片道飛行機6時間、これって通勤圏じゃないですよね。日本のラジオ局にもとても興味を持っていて仕事もしていたようです。もしかしたら、日本のFM局の制作部長になって日本とアメリカ東海岸、西海岸を行ったりきたりしたいという野心を抱いていたのかもしれません。日本のラジオ業界がアメリカのように影響力がなくてギャラも安いということはたぶん知らなかったのでしょう……..。

WBLS Personalities

現在は朝の人気番組、「スティーヴ・ハーヴィー・ショー」のほか、ニュー・ジャック・スウィングを代表するR&Bアーティスト、キース・スウェットが「クワイエット・ストーム」のパーソナリティーを担当、さらラジオ歴70年を誇るハル・ジャクソンが毎週日曜「サンデー・クラシックス」でがんばっています。

FRANCKIE CROCKER

“If I’m not on your radio, your radio isn’t on.”

The unique fusion of sound and sensibilities that was New York’s soundtrack in the late 1970s was defined by radio station WBLS and its program director/superstar DJ, Frankie “Hollywood” Crocker. Deep voiced, ridiculously cool, and decidedly stylish, Crocker was also the Big Apple’s leading black convert promoter, which meant he decided what got played on New York’s number one music station and he profited when those same acts performed at one of the city’s major convert venues. It gave Crocker incredible power in New York and in the industry.

Crocker went out on the disco circuit – frequenting places like the aspiration black disco Leviticus at 45 West 33rd Street, studio 54 and, most famously, the Paradise Garage – to discover his own, and the playlist changed accordingly. Crocker’s mix of music was elegant, suave, sophisticated and, most important, color-blind. Crocker played off the wall (for black radio) stuff like Led Zeppelin and Bob Dylna’s “Gotta Serve Somebody” and long album cuts as well as singles.

He is credited with introducing as many as 30 new artists to the mainstream American audiences.
One memorable scene in Soul Power follows Manu Dibango, a Cameroonian saxophonist, as he plays for a dancing, adoring group of children. Dibango, who had a strong following throughout West Africa, was able to achieve worldwide pop success, at the time a rare occurrence, which was very much tied up with the rise of disco. His 1972 recording “Soul Makossa” was the B side of another single and surely would have remained obscure if not for David Mancuso, a visionary New York DJ, who threw legendary parties in a lower Manhattan loft. The party itself became know as the Loft and featured Mancuso, with his turntable in the center of the room, playing an eclectic mix of dance records that attracted a lively cult audience, one that veterans of the New York club scene argue created the first disco music experience. Mancuso, who was the first to play many songs now regarded as disco classics, found Dibango’s record in a West Indian record store in Brooklyn.

Soul Makossa” might have remained a cult item if Frankie Crocker, the adventurous WBLS program director and DJ, hadn’t heard it at Mancuso’s party and put it on the air in New York City. By 1973 “Soul Makossa” had become a minimania, with some thirty cover versions being recorded, while Dibango’s original went on to reach number thirty-five on the pop chart. This musical journey, from progressive New York disco to WBLS playlist to international success, would be replayed scores of times during the disco era.

Frankie Crocker was inducted into the New York State Broadcasters Association Hall of Fame in 2005.

WBLS Personalities
WBLS is currently the originating station of Steve Harvey‘s syndicated morning show, and was previously the flagship of Wendy Williams‘ syndicated afternoon drive program, which ended in August 2009 when she left for her new TV show. The station also features Hal Jackson, a pioneering Black radio personality and co-founder of parent company Inner City Broadcasting, whose Sunday Classics program has aired weekly since the station’s inception.

(text by Yasuko Ito)

Harlem R&B Chart – October, 2011

Harlem R&B Chart – October, 2011

 

  1. Radio Message                      R. Kelly
  2. Otis                                         Jay Z/Kanye West f/ Otis Redding
  3. Quickie                                   Miguel
  4. Pieces of Me                           Ledisi
  5. Best Thing I Ever Had         Beyonce
  6. Wet the Bed                           Chris Brown f/Ludacris
  7. No One’s Gonna Love You Jennifer Hudson
  8. If it’s Love                              Kem f/Chrisette Michele
  9. Marvin & Chardonnay         Big Sean f/Kanye West
  10. Fool for You                          Cee-Lo f/Melanie Fiona