Category Archives: Black History

What’s Going On? 今だからこそ、マービン・ゲイの記念切手

毎年、新しい図柄の切手を発行しているアメリカですが、2019年度に発売する記念切手が発表されました。風景画やお花、動物などの絵柄のほか、有名人にちなんだ切手が注目されています。

どんな基準で選ばれたのかは定かではありませんが、2019年の Black Heritage Seriesとして、マービン・ゲイとグレゴリー・ハインズの二人のアフリカン・アメリカンが選ばれました。

マービン・ゲイ

モータウン・レコードの社長、ベリー・ゴーディーのお姉さんと結婚したマービン・ゲイMarvin Gaye (1939–1984) の、60年代後半から70前半にかけて、ベトナム戦争や警察官の暴力など、混乱をきわめたアメリカ社会に疑問を投げかけた名曲、「ホワッツ・ゴーイング・オン」は今でも多くの人々に愛されています。あれから年50近く経つ現在、快方に向かっていた人種問題が再燃。「この国はいったい、どうなってしまったの?」と多くの人たちがつぶやいています。まさに、What’s going on? です。

グレゴリー・ハインズ

タップ・ダンサーで俳優のGregory Oliver Hines (February 14, 1946 – August 9, 2003) はハーレム育ち。幼少の頃から、お兄さんのモーリス・ハインズと一緒にラップ・ダンスを踊っていました。125丁目にあるアポロ劇場にも、「ハインズ・ブラザース」として頻繁に出演していました。ブロードウェイ・ショー、映画など、俳優としても活躍、リチャード・ギア (The Cotton Club 1984)、ビリー・クリスタル (Running Scared 1986)、ダニー・グロヴァー (A Rage in Harlem 1991)、 ホィットニー・ヒューストン (Waiting to Exhale 1995) などと共演しています。グレゴリーは、すでにすたれ気味だったタップ・ダンスを盛り上げようと、タップ協会を結成したり、若手タップ・ダンサーを育成するなど、数々の功績を残しました。

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60年代のディープ・サウスが舞台「グリーン・ブック」大絶賛!

映画、「グリーン・ブック」が11月16日、金曜日に封切りになりました。観た人たち、一同に「Great film!」と大絶賛!

一体、どんな内容のお話なのでしょう。(ネタバレ注意。これから観る予定の人はこの先を読まないで下さい)

時代は1960年代、アメリカ大統領だったジョンFケネディが暗殺される前、黒人たちが特に南部で激しかった人種差別に抗議し、公民権運動が全米に広まりはじめました。

主人公は、ニューヨークに住む黒人クラシック・ピアニスト、ドクター・ドン・シャーリーと、彼が南部ツアーのために雇った、クラブ「コパカバーナ」のバウンサー、イタリア系白人の用心棒兼運転手、トニー・リップ。品がよくて教養豊かな、黒人らしくないドンと、移民たちで賑わう街、ニューヨークのブロンクスに住む、黒人に偏見を持つ、チンピラまがいのトニーと、全く違った世界に住むふたりの運命的な出会い…….。

この映画に登場するドンもトニーも実在の人物で、この物語はトニーの実の息子、ニック(Nick Vallelonga) の企画で、脚本も手掛けています。映画に描かれていることはすべて事実だそうです。

実在の天才ピアニスト、Dr.ドン・シャーリー

心理学の博士号を持つドン・シャーリーはジャマイカ出身のピアニストです。わずか3歳でピアノを弾き始め、類稀なるその才能は多くの人々に認められました。9歳の時、当時ソビエト共産主義政権下のレニングラード音楽院に招かれ、音楽家ミトロフスキー氏より、音楽の基礎理論からみっちり仕込まれました。ピアノの腕だけでなく、英語の他、フランス語、スペイン語、ロシア語などを話せるのも、世界中でコンサート・ピアニストとして活躍したからなのです。自分だけの世界に生きるドンは家族とも疎遠で、友達はウィスキーやブランディ―だけでした。

ブロンクス出身のバウンサー、トニー・ヴァレロンガ (Tony Lip)

1960年代のブロンクスは移民の坩堝でした。トニー・ヴァレロンガは、イタリア系移民で、マンハッタンの60丁目にあった一流クラブ、「コパカバーナ」のバウンサーをしていました。サミー・ディヴィス・ジュニアやサム・クック、シュープリームスなど、黒人ミュージシャンたちが出演したりして話題になりましたが、実は、黒人が客としては立ち入ることは禁じられていました。トニーは典型的な黒人差別主義者でした。ナイトクラブという裏の世界で、用心棒まがいのことをしてのし上がった荒くれ者です。どんな窮地もその口達者なことで切り抜けてきたツワモノです。やがて、口達者なトニー (Tony Lip) というニック・ネームで呼ばれるようになりました。

Green Book – The Journey to the Deep South

まだ飛行機の旅が一般的になる前、ミュージシャンたちは車で全米ツアーをしていました。モータウン・レコードのダイアナ・ロス&シュープリームス、テンプテーションズ、ジェームス・ブラウンなどのR&Bアーティスト達、ジャズやブルース・アーティスト達、それぞれ、バスや車で北から南まで各地で興行ををしました。映画、「グリーン・ブック」に登場する、クラシック・ピアニストのドン・シャーリーも例外ではありませんでした。ふたりのロシア系のミュージシャンとトリオを組み、ドンはニューヨークからアラバマ州のバーミングハムまで、2か月にわたる南部ツアーに出発することになりました。

クラシック音楽の殿堂、カーネギー・ホールの上階に住むドン・シャーリー。南部ツアーに出るにあたり、同行してくれる用心棒兼運転手を探すことになりました。運転歴や経験は二の次、ドンが求めているのは「人種偏見の激しい南部で、自分を守ってくれるタフな荒くれ者」です。所属レコード会社や関係者に調べさせ、格好の人物というので名前が挙がったのがトニー・リップでした。

「黒人の運転手?まっぴらだね。」と最初は取り合わなかったトニーですが、コパカバーナは改装のため閉店、クリスマスも間近、仕事にあぶれて途方に暮れ、しぶしぶ承諾します。レコード会社の担当者から、「南部ではこれが必要になるから、ほら。」と黒人用の旅行ガイド、”Green Book” を渡されます。ぱらぱらめくると、二グロ専用モーテル、レストランなど、地域別にリストされています。「クリスマス・イヴまでには必ず帰ってきてね。」という愛妻、ドロレスにしばしの別れを告げ、ドンとトニーの珍道中が始まります。

ニューヨークを出て、最初のコンサートはペンシルバニア州のピッツバーグです。比較的リベラルな街で、ドン・シャーリー・トリオは暖かく迎えられます。初めてドンのピアノ演奏を聴いたトニー、その華麗なプレイに驚きます。クラシック音楽なんて聴いたことはありませんでしたが、心にぐっとくる何かがありました。少しづつ、ふたりの距離がせばまってゆきます。ツアーの会場はコンサート・ホールだったり、富豪の邸宅だったり、さまざまな規模でライヴが繰り広げられます。

長い道中です。トニーはカー・ラジオに聞き入っています。ドンが、「今、ラジオでかかっているのは何?」と聞きます。「え、アレサ・フランクリンだよ。ドック (Doc) 、アレサ知らないの?」と驚くトニー。クラシック音楽の世界にどっぷり浸かり、まったく外界と接することのないドン・シャーリーは、巷でどんな音楽が流行っているのか、ほとんど気にかけたことがありません。ずっとナイトクラブで働いていたトニーは大の音楽好き、最新の曲は全部知っています。ここでは、黒人と白人の常識がくつがえっています。

愛妻、ドロレスから、「長距離電話は高いから、手紙を書いてね。できるだけ頻繁にね。」と言われ、トニーは誤字脱字だらけの稚拙な手紙を書いています。「最愛のドロレス、今日はランチにハンバーガーを食べました。味はフツウです。早く会いたい。以上。トニーより。」ちらりとその手紙を見たドン、「トニー、女性にはもう少しロマンチックなことを書かないと……。」と添削をして手伝ってあげます。ふたりの間にだんだん友情が芽生えてきます。

次の目的地に着いたドンとトニー、偶然にもトニーのイタリア人の仲間と遭遇します。「オレたち、ここで働いているんだ。よぅ、トニー、お前もそんなニガーの運転手なんかやめて、オレたちと一緒に仕事しようぜ、金だっていいんだぜ。あとでバーに来いよ。ゆっくり話そう。」と、トニーにわからないよう、彼らはイタリア語でトニーを説得します。危機を感じたドン、バーに行こうとするトニーを引き留め、「行かないでくれ。金は今までの倍払う。」と、イタリア語で話しかけ、トニーを驚かせます。そうです。ドンは何か国語も喋れるマルチな才能を持っていたのです。

田舎ののどかな風景が広がり始めます。美しいアメリカ南部の景色とは裏腹に、だんだん人種差別が顕著になってゆき、ひとりでバーに酒を飲みに行ったドンが袋だたきに遭うなど、醜い事件に巻き込まれます。トニーのウィットに富んだユーモアや、時として暴力でさまざまな窮地を乗り越えます。

だんだん南部、ディープ・サウスに近づいていきます。差別は黒人たちだけでなく、白人の間でもランク付けがされ、イタリア系もその底辺なのか、バカにされていたようです。路上で、警官に職務質問され、侮辱されてキレてしまったトニーは警官を殴ってしまいます。もちろん、ふたりは署に連行されます。ドンは無罪ですが、トニーと共に収監されます。ドンは「電話をかけさせてくれ。」と嘆願して聞き入れてもらいます。誰に電話したのか、すぐに署長あてに電話が入ります。ダレていた署長が急に真顔になり、「はい、承知いたしました。」と電話に向かって直立不動で応対し、ふたりはすぐに釈放されます。驚いたのはトニーです。「Doc、一体誰に電話したんだ?」

なんと、電話の相手は当時、ケネディ政権下で司法長官だったロバート・ケネディからだったのです。そうです、ドン・シャーリーは公民権運動を通して、時の大統領の弟、ロバート・ケネディに直接電話をかけることができるような関係だったのです。

キャスティングの勝利

ドン・シャーリーを演じたのは、バリー・ジェンキンス監督の映画、「ムーンライト」で初のオスカーを受賞した黒人俳優、マヘーシャラ・アリ、そして相棒役のトニー・リップを演じたのは、「指輪物語 The Lord of the Rings」のアラゴルン役でブレイクしたヴィゴ・モーテルセン、このふたりの俳優を起用したことが「グリーン・ブック」の成功の鍵ではないかと思います。

マヘーシャラ・アリ(Mahershala Ali)、元ラッパー

前作、「ムーンライト」でキューバ出身のドラッグ・ディーラー役でオスカー受賞に輝いたことで知られる俳優、マヘーシャラ・アリはムスリム教徒でもあります。実は、俳優に専念する前はラッパーとして、プリンス・アリ名義でアルバムを2枚出しているのです。飼っていた猫にナズ (Nas) と名付けたり、かなりのヒップホップ・ファンのようです。西海岸のコンシャス・ラップ・グループ、ダィアレィテッド・ピープルズのMC, Rakaaをフィーチャーしたり、一部では評価されていました。以下、そのMCぶりをチェックしてみて下さい。

ヴィゴ・モーテンセン (Viggo Mortensen)

役作りのために50パウンド(約23キロ)も体重を増やしたというヴィゴ。イタリア系の男を演じるというので、デンマーク人の彼はちょっとためらったといいます。英語はもとより、デンマーク語、フランス語、スペイン語を完璧に話せるだけでなく、イタリア語やスウェーデン語、ノルウェー語も操れるという、マルチ・タレントで、役の幅が広いことでも有名です。映画の中では、地元のイタリア系の仲間たちとはイタリア語で会話をしています。ヴィゴ本人は、アート、ポエトリーなど、書籍も出版するなど、この映画の役柄、トニー・リップとはまるで正反対なとてもインテリな人物です。ユーモアのセンスがある、というところはよく似ていますが……。

映画、「グリーン・ブック」は、人種偏見が激しかった南部を背景にしていますが、テーマは友情です。実際に接してみると、黒人も白人も、それぞれ問題を抱えているけれども、同じ人間には変わりがない……。この映画はそんな人間の原点を、ドンとトニーという全く異次元のキャラクターを通して描いています。

移民問題や人種差別がまたクローズ・アップされている今日このごろ、こんな映画が制作され、このタイミングで公開されたというのはとても意義のあることだと思います。

実在の二人は生涯よき友人で、自分たちの死後にこの脚本を映画化してほしい、とトニーの息子、ニックに遺言を遺したそうです。偶然にも、ふたりは同じ年に他界しました。

Don Shirley (January 29, 1927 – April 6, 2013)

Tony Lip (本名Frank Anthony Vallelonga – July 30, 1930 – January 4, 2013)

(日本公開は2019年3月予定。)

アメリカの人種問題を浮き彫りにしたコメディ映画、「グリーン・ブック」公開間近!

映画、「グリーン・ブック」が11月16日に公開されることになりました。ジム・クロウという法律で白人と黒人が隔離されていた1960年代のアメリカ南部が舞台です。黒人クラシック・ピアニスト、ドクター・ドン・シャーリーと、彼が南部ツアーのために雇った、クラブのバウンサー、イタリア系白人の用心棒兼運転手、トニー・リップとの珍道中が始まります。最初は、お互い人種の違いもあり、緊張感がみなぎりますが、一緒に旅をしてゆくうちに友情が芽生えるという、心温まる作品に仕上がっています。(日本公開は2019年3月予定。)

ドン・シャーリーのピアノ演奏

二人とも実在の人物で、脚本もトニーの息子が手掛けています。監督は、ジム・キャリーが俳優としてブレイクしたコメディ映画、Dumb & Dumberで知られるファレリー兄弟の片割れ、ピーター・ファレリーです。黒人なのに、ケンタッキー・フライド・チキンを食べたことのないハイソなピアニスト、ドンと、白人なのにリトル・リチャードやチャビー・チェッカーなど、黒人音楽に詳しい運転手のトニーとの対比がコミカルに描かれています。ところで、この映画のタイトル、「グリーン・ブック」とは何なのでしょう。

黒人のための旅行ガイド、グリーン・ブック


まだ、法律で人種差別されていた時代、黒人旅行者のためのガイド・ブック「The Negro Motorist Green Book」、通称‘グリーン・ブック’というのがありました。このガイド・ブックには、各地で、黒人でも泊まれるホテル、モーテル、食事ができるレストラン、コーヒー・ショップなどの情報が掲載されていました。また、民間の人が自分の家の部屋を貸すといった、現在のエアーB&Bもリストされていたといいます。当時(Civil Rights Acts, いわゆる人種差別撤廃法案が1964に成立する前)は、ほとんどのホテルやレストラン は黒人お断り、特に、差別の激しかった南部では、日が沈むまでに町を出ないと袋叩きに合うなど、黒人たちにとって死活問題でした。全米をツアーする黒人ミュージシャンたちも、このグリーン・ブックを「旅行のバイブル」として愛用していたといいます。

発行人はハーレム(NY)在住のビクター・ヒューゴ・グリーン氏で、、「黒人が安心して車で旅行できるガイド・ブックを作ろう。」という発想から、このグリーン・ブックが1936年に誕生しました。ハーレムの郵便局職員だったグリーン氏は、南部の郵便局で働く仲間から、黒人を受け入れてくれる宿泊施設や、食事ができるレストランなどの情報を集め、The Negro Motorist Green Bookを刊行しました。これが大当たり。やがて、グリーン氏は郵便局を辞め、このガイド・ブックの編集に専念、西135丁目にオフィスを構え、以来、毎年刊を重ね、1966年まで発行し続けました。

「グリーン・ブック」は、メール・オーダー(通販)のほか、エッソ・ガソリン・スタンドで購入できました。「こんなガイドが必要のない世の中にならないといけない。」というのがグリーン氏の口癖だったと言います。


アメリカの人種差別を扱った映画というと、かなりシリアスなストーリーになってしまいがちですが、この「グリーン・ブック」は視点を変え、コメディ仕立てになっています。雇用主の一流ピアニストが黒人、使用人の教養のない運転手が白人という、当時は珍しかった主従関係に、当人同志はもちろん、周りも戸惑います。クラシック/ジャズ・ピアニストとして、幼少の頃からその才能を認められ、博士号まで持つ有名ミュージシャンのドンですが、当時の南部では、ただの「黒人」として蔑まれ、ひどい扱いを受けます。無教養ですが白人というだけで優遇される運転手のトニー……。南部をドライブするのに頼りになるのは「グリーン・ブック」だけ……..。ともすれば「虐げられた黒人の悲劇」というヘビーな内容になってしまいがちですが、そこが監督、ピーター・ファレリーの手腕の見せ所。そこかしこにユーモアを散らし、史実を曲げずに公民権運動真っただ中の南部の実態を見せてくれます。

監督:    Peter Farrelly

出演:    Tony Lip – Viggo Mortensen

Don Shirley – Mahershala Ali

公開:     11/16/2018 (一部では11/21/2018)

A Great Day In Hip Hop 1998 – 20周年記念イベント 於Schomburg Center in Harlem, NY

A Great Day of Hip Hop (1998)

日本ではほとんど知られていないと思いますが、1998年、まだスタートして間もないヒップホップ雑誌、XXL(ダブル・エックス・エル)が、ヒップホップ・アーティスト200人あまりを集め、ハーレムの路上で記念撮影をした写真、 A Great Day In Hip Hopを掲載しました。

撮影したのは、黒人エンターティナーの間ではレジェンド的存在のセレブ・フォトグラファー、ゴードン・パークスです。当時はまだ珍しかった黒人探偵を主人公にした映画、「シャフト」を監督したり、写真だけでなく、映画監督としても有名でした。時間にはルーズと悪評の高かったヒップホッパーたちを一堂に会することができたのも、ひとえにゴードン・パークスの功績と言えます。

MCたちの間ではキングと言われたラキムやスリック・リックを始め、クール・モー・ディー、クール・キース、KRSワン、そして、伝説のDJ、グランドマスター・フラッシュ、ジャジー・ジェフ、キッド・カプリ、チャック・チルアウトなど、朝の10時集合という、夜明けまでチル組の彼らには過酷な条件にもかかわらず、なんと200人が集まるという驚異…….。

当時はまだ若手だったコモン、モス・デフ、タリブ・クウェリ、ノーティー・バイ・ネィチャー、ファット・ジョー、ブスタ・ライムズ、デ・ラ・ソウル、Qティップ、チャネル・ライヴ、ブラック・ムーン、ビッグL、ジャメィン・デュプリなど、まるで、その日にニューヨークにいたラッパーたちが全員集合したかのよう。

この企画は、その40年前の1958年、全く同じ場所にて行われたジャズ・ミュージシャンたちを集めたエスクワィア・マガジンの記念撮影、A Great Day In Harlemに敬意を表し、そのヒップホップ版として行われました。

A Great Day of Harlem (1958)

A Great Day In Hip Hop 20周年記念イベント, ハーレムにて開催

A Great Day In Hip Hopから20年、あの時の撮影のアウトテイクを集めた写真集、「Contact High – A Visual History of Hip Hop」の刊行を記念して、ハーレムのショーンバーグ・センターにて記念イベントが11/7(水)に開催されました。


パネル形式で、当時のXXL編集担当だったシーナ・レスター、そのアシスタントで現在はVibe Magazine編集長、ディトワン・トーマス、ヒップホップ界のアイコン、ファブ5フレディ、ヒップホップ・ライターのマイケル・ゴンザレス、そして当時売り出し中だったラッパー、The Lox のスタイルズPの5人が、1998年の記念撮影の模様を語ってくれました。

以下、その模様をレポートいたします。

まずは、映像クリエィター/ライター、ネルソン・ジョージ監修の、20年前の撮影風景を綴ったドキュメンタリー、「A Great Day in Hip Hop」を上映。

進行役は、20年前の駆け出しのアシスタントから、Vibe マガジンの編集長へと昇りつめたディトワン・トーマスです。この企画の話を聞いた時は、「まさか、そんなことができるとは思わなかった。」と回想しています。その時のボスだったXXLのシーナ・レスターが、自分の企画で動き始めたプロジェクト、「ア・ディ・イン・ヒップホップ」が実現するまでのいきさつを語ります。

Sheena: 1958年に、エスクワィア誌がジャズ特集を組んで、その時に、ハーレムの路上に一世を風靡したジャズ・ミュージシャンを集めて記念撮影した写真を、堂々、見開きで掲載して話題を集めたことがありました。そのヒップホップ版をXXLでやろうということになったんです。黒人写真家、ゴードン・パークスに撮影を依頼するというのは、有名パブリシスト、レスリー・ピッツ(マイケル・ゴンザレスのガール・フレンドで翌、1999年逝去)のアイディアでした。

彼女からミスター・パークスの電話番号をもらって、恐る恐る聞いてみたんだけど、頭ごなしにノー!レスリーも頼んでくれたんだけど、やっぱりノー、と断られたの。それでも食い下がって、‘この仕事をしたがっているフォトグラファーはいくらでもいるんです。でも、あなた、ゴードン・パークスでないとできない撮影なんです。’って嘆願して、やっと三度目にオーケーしてもらいました。

一流ファッション誌「グラマー」に起用された、黒人で初のファッション・フォトグラファー、この撮影時85歳だったゴードン・パークスは、ブラック・エンターティナー達からも一目置かれている存在でした。

撮影現場に来るように、と言われたマイケル・ゴンザレス、当時はソース・マガジンやヴァイブ・マガジンなどで、アーティスト・インタビュー等、多忙を極めていました。同棲していた彼女、パブリシストのレスリーから、「凄いことになるから、必ず現場に来てレポートしてね。」を言われたのですが、行くつもりはなかったそうです。その辺のところを、本人が説明します。

Michael: オレ、あの時はすでに30台半ばで、大勢のラッパーのインタビューをしてきたけど、一人として時間通りに来た試しがなかったね。そんな調子だったから、この撮影の話をレスリーから聞いた時、‘実現するのかな、’と半信半疑だったんだ。レスリーはその朝、けっこう早く出たんだけど、オレはぶらぶらしていたんだ。昼前に、レスリーの携帯から電話がかかってきて、‘凄いことになってるから、今すぐ来なさい。’と言われて、タクシーで現場に行ってみたら、本当にすごい人数のヒップホップ関係者が集まっていてびっくり。ラッセル・シモンズ、シャキール・オニール、ラキム、とにかく、ヒップホップ界で活躍してる連中が勢ぞろい。本当に凄かったね。

さらに、ディトワン・トーマスもその時の様子を語ります。

Datwon: いやぁ、壮観だったよね。今日、来てるスタイルズPなんて、ベテラン勢に交じって、まだ The Loxが売り出し中の新人だったのに、ちゃっかりラキムとか、スリック・リックとかと最前列の中央に並んでたよね。ちょうど、みんなが揃って、‘はい撮影’っていう時になって、ラン・DMCのランが、ゆっくり歩いてきたんだ。みんなが、よぅラン(走れ)、ラン(走れ)って叫んでいるのを聞いて、奴、自分のことをRunと呼ばれてると思ったのか、ちっとも急がないんだ。(笑)

スタイルズPもそれを受けて、

Styles P: オレ、めちゃ興奮したよ。だって、ラキムだぜ。ずっと憧れてたし…….。ピート・ロックとか、グランド・マスター・フラッシュとか、すげぇメンツで、マジ、ぶっ飛んだね。

Datwon: オレもそう。それまで、ジャケ写とかでしか見たことのないアーティストがずらーっと並んでて、そりぁコーフンした。それに、アーティスト同志もすげぇ盛り上がってたよね。普段はコワモテでクールに決めてる若手ラッパーとか、もう、グルーピー丸出しで、‘ヒェー、ラキム!!’とか叫びながら走り寄ったりして。(笑)あの日は、確か、大統領だったビル・クリントンがハーレムに来るとかで、交通が遮断されたりしていたのに、よくみんな集まれたよな。そのせいかな、ローリン・ヒルが来るはずだったのに渋滞で間に合わなかったとか。(爆笑)
(ローリンは遅刻常習犯で有名)

この後、DJの神様的存在のグランドマスター・フラッシュが登場。この晩のパネルに飛び入り参加。フラッシュという名前は、手さばきがあまりに素早いところからついたニックネームです。

Flash: あの頃、MTV の番組、Yo! MTV Rapsとかでヒップホップを盛り上げてくれた、ファブ5フレディが来てくれてるけど、オレにとっては忘れられない出来事があるんだ。まだ、オレがブロンクスの奥地のクラブとかで回していたある晩、フレディがゲストを連れてきてくれた。黒人の客しかいないクラブに、白人の、それも金髪の女の人が入ってきた!いやぁ、驚いたね。80年代のブロンクスだぜ。それが、すでに売れっ子だったブロンディ、デボラ・ハリーだった。彼女が、DJブースに来て、オレの耳元で囁いたんだ、「あたし、あなたのための曲を書くわ。」って。それが、のちの大ヒット曲、”Rapture”だよ。

オールド・スクールは奥が深いですね。ファンにとってはたまりません。いろいろ秘話も聞けて、とても楽しいイベントとなりました。

200人ものヒップホッパーがハーレムに集まることができたのは、やはりゴードン・パークスという偉大なフォトグラファーのお蔭だったようです。現場に来ていたMC、DJ、ライター、写真家、レーベル関係者など、ミスター・パークスに握手を求めたり、と和やかで楽しい撮影風景が浮かんできます。

実は、私もマイケル同様、20年前、このプロジェクトのことは聞いていたのですが、やはり、半信半疑というか、ヒップホップ業界ではよくある、現場に行ってみないと「詳細不明」というので、行きませんでした。そのことは今でも悔やまれます。

伊藤 弥住子