天才建築家、フランク・ロイド・ライトの愛人を殺した黒人ジュリアン・カールトンCook Julian Carlton killed seven in Frank Lloyd Wright home on August 15, 1914

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8月15日は、日本にとって敗戦の屈辱を味わった忌まわしい日です。ところが、アメリカでも、8月15日を呪われた日として記憶している人たちがいます。


今から100年以上も前、1914年8月15日にあの恐ろしい事件が起こったのです。主人公は30歳(31歳という説もある)の自称、バルバドス出身のジュリアン・カールトン。妻のガートルードと夫婦で住み込みの召使いとして、有名建築家、フランク・ロイド・ライトのウィスコンシン州の自宅、”タリエシン”で働き始めました。フランクが設計を担当していたシカゴの高級ビア・ガーデン/レストラン、「ミッドウェイ・ガーデンズ」のケータリング関係者からの紹介とあって、特に身元も調べずに採用したのです。ジュリアンは、シェフとしての腕もかなりのもので、料理人兼執事/小間使いとして、ライト家を切り盛りしていたようです。

愛の棲み家、タリエシン

業界ではその才能を誰からも認められ、リスペクトされていたフランクでしたが、実は、隠されたスキャンダルがあったのです。


フランクは「自由恋愛」を実践する恋多き男で、「男には、少なくとも、子供を産んでくれる母親の役割を演じる女性と、パートナーとしてのインテリジェンスを持ち合わせた女性の二人が必要」と公言していました。妻と6人の子供をもうけながら家庭を顧みず、1909年、クライアントの妻だったメィマー・チェニーと駆け落ちし、ヨーロッパで暮らしていました。そろそろほとぼりが冷めた頃だろうと、1911年にフランクの生まれ故郷のウィスコンシン州、スプリング・グリーンに戻りました。フランクは、愛人メィマーのために二人の棲み家、タリエシンを完成させたところでした。

謎の使用人、カールトン夫妻

カールトン夫妻は、短期間だけ、という条件で、4月頃から働き、二週間前に通知を渡し、8月15日を最後にライト家を去ることになっていました。その日は土曜日、フランクと同棲していた愛人、メィマー(45)と、夏休みで遊びに来ていた、彼女の元夫との間にできた息子ジョン(12)、娘マーサ(9)がテラスでランチの用意ができるのを待っていました。家のダイニング・ルームでは、フランクの弟子たちが、やはり食事の支度ができるのを待っていました。

殺戮

ジュリアンは、台所で調理の手伝いをしていた妻のガートルードに、「俺にもしものことがあったら一人でシカゴに行け。」と言い残し、メィマーと子供たちにスープを給仕したかと思うと、いきなり、斧でメィマーの背後から頭を叩き割ったのです。一瞬にして血が飛び散り、叫び声が響き渡りました。次のターゲットはジョンです。同じように斧を振り下ろし、一打でジョンは息絶えました。逃げるマーサを追いかけ、華奢な少女をも容赦なく斧で切りつけました。

外の異様な騒ぎに驚いた設計士のエミール(30)、大工のビリー(35)とその息子のアーネスト(13)、庭師のディヴィド(38)等が外に出ようとしましたが、すでにダイニング・ルームのドアは外側からロックされていました。床に敷いてあった絨毯にはガソリンが湿らせてあり、カールトンが火を点けた瞬間、炎が舞い上がりあたりは火の海……。逃げ惑うフランクの弟子たち。窓ガラスを割って逃げようとしたエミールの背中にカールトンが斧を放ちます。フランク・ロイド・ライトと不倫相手との「愛の隠れ家」、タリエシンは瞬く間に焼け落ちてしまったのです。メィマー家族3人と使用人4人、合計7人の死亡が確認されました。

不幸中の幸い、フランク(47)(は「ミッドウェイ・ガーデン」の仕事でシカゴに滞在中で不在でした。

翌日、地元の新聞を始め、シカゴの有力紙、「シカゴ・トリビューン」にもデカデカとその事件の記事が掲載されました。

ジュリアン・カールトン、7週間後の死

ジュリアンはタリエシンの屋敷を燃やしたあと、ボイラー室に隠れ、毒(塩酸)を飲んで死のうとしましたが、喉が焼けただれたものの命は取りとめました。食道がつまり、水を飲むのが精いっぱいで、事件後2か月足らずの10月7日に収監されていた刑務所で息を引き取りました。

のちの調べで、ジュリアン・カールトンはバルバドス島ではなく、アラバマ州の生まれだったことがわかりました。

世間では、「気狂いの二グロによる殺戮!」と一言で片づけられてしまったようですが、当時の黒人社会ではひそかに話題になっていたようなのです。

「白人のご主人様に口答えしただけで殺されてもおかしくない時代、なぜ、ジュリアンは自分の命を賭けてまで、フランク・ロイド・ライトの身内を皆殺しにしようとしたのだろうか。確かに残忍で狂気だけれど、彼をそこまで駆り立てた動機がきっとあったはず。」と黒人コミュニティーの人たちはジュリアンの決断に同情的なのです。

南部アラバマの出身なのに、なぜバルバドスから来たと偽ったのでしょうか……。まわりには自分と妻のガートルード以外は見渡す限り、誰も黒人が住んでいないというウィスコンシン州の環境と何か関係があったのでしょうか。

犯罪動機

生存者の話では、ジュリアン(30)と若い白人設計士、エミール(30)との間に確執があったとのこと。また、カールトン夫妻が離職を希望したのではなく、メィマーから「もう来なくていい、クビだ。」と宣告され、逆恨みした……など、さまざまな憶測が飛び交っています。残念ながら、本人が何も喋らずに死んでしまっているのでその真相は解明できていません。事件前のジュリアンの様子を、妻のガートルードが、「夫はとても神経質になっていて、寝るときでさえ、斧をそばに置いていました。」と告白しています。妻も一時、身柄を拘束され取り調べを受けましたが、犯行には関与していないということで、列車に乗ってシカゴに行ったということまでわかっています。

ちなみに、フランクは金遣いが荒く、常にお金に困っていて、従業員への給料を滞納することが多かったといいます。

伊藤 弥住子

 

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