R&Bシンガー、Ben E. Kingが4月30日、ニュージャージー州で亡くなりました。76歳でした。直接の死因は公表されていませんが、近年はずっと病気がちだったといいます。
50年代よりドゥワップ・グループ、「ザ・ドリフターズ」のメンバーとして活躍、その後ソロになってからも数々のヒット曲、「スパニッシュ・ハーレム」「スタンド・バイ・ミー」などを残し、何度も来日公演を行っています。
私がニューヨークに移り住んだ1984年以来、何度もベン・E・キングのライヴを観ました。
オールディーズ・コンサートやチャリティー・コンサートにもよく出演していたベン・E・キングは業界でも「最高にナイスな奴」としてとても親しまれていました。私たちファンにとっても最高のアーティストでした。
1962年の「スタンド・バイ・ミー」がベン・E・キングの一番のヒット曲として知られていて、ライヴでは必ず歌ってくれました。もう50年も同じ曲を歌い続けているのですから、きっとウンザリ気味なのではと想像していましたが、そうではないようです。本人曰く、「毎回、この歌を歌った時のオーディエンスの歓喜に満ちた反応を見るととても嬉しい。とてもスペシャルな曲だし、歌うのが楽しい。」とのこと、本人の暖かい人柄がよくでています。他にもドリフターズ時代にレコーディングした、「There Goes My Baby (1959)」「This Magic Moment (1960)」「Save The Last Dance For Me (1960)」などのヒット曲がたくさんあり、ドューワップのオールディーズ・ショーでは懐かしのザ・ドリフターズのヒットをメドレーで歌って盛り上げてくれたことを思い出します。
同時代のアーティスト、U.S. Gary Bond と組んでツアーをしたりする時には他のR&Bアーティストのカバー曲も披露しています。たとえば、同じニュー・ジャージーの住人だったウィルソン・ピケットの大ヒット、In The Midnight Hour (by Wilson Pickett 1946-2006) 、最近亡くなったパーシー・スレッジの名曲、When A Man Loves A Woman (by Percy Sledge 1940-2015)、26歳でこの世を去ったオーティスの Try A Little Tenderness (by Otis Redding 1941-1967)、メンフィスの牧師、アル・グリーンの Let’s Stay Together (by Al Green 19461-)、そしてベンEキングの所属していた、元ファイヴ・クラウンズをニューヨークのアポロ劇場にブッキングしてくれた大先輩、レイ・チャールズのLet The Good Times Roll (Ray Charles 1930-2004)など。わりと最近まで現役でライヴをこなし、50年間にわたり活躍しました。
ベンEキングの影響は広範にわたり、ジョン・レノンが「スタンド・バイ・ミー」をカバーしたり、1986年の同名の映画のテーマ曲に選ばれ、再認識されたり、ヒップホップ/レゲエ・アーティストのショーン・キングストンが「スタンド・バイ・ミー」をカバーした曲、「ビューティフル・ガールズ」で注目されたりしています。
日本を「第二の故郷」と呼ぶベンE.キング、東日本大震災の悲報に強く胸を痛め、日本の人々を元気づけたいという思いを込め、2011年、スタジオ・アルバム『Dear Japan, 上を向いて歩こう』を制作しました。「どこまでも行こう」(初の英語カバー)を含む全 11曲が収録されています。
坂本九によるこの日本語最大のヒット曲、「上を向いて歩こう」を、ベンEキングはなんと日本語で歌うという快挙を成し遂げました。彼にとっては日本語の歌詞で歌うことは非常に困難でしたが、「言葉はとても大切。オリジナルの歌詞の意味を英語で理解してとことん叩き込みました。自分にとっては大きなチャレンジでしたがとても意義のあるプロジェクトになりました。」とその意気込みを語りました。「上を向いて歩こう」は1963年、アメリカでも大ヒットとなり、日本の曲としては初めてアメリカのチャートに入った記録的な成果を収めています。ソウル・グループのテイスト・オブ・ハニーが1981年にカバー、「スキヤキ」というタイトルでヒットさせました。
ベンEキングのバージョン、聴いてみてください。
伊藤 弥住子
(CNN)Soul singer Ben E. King, whose classic hit “Stand By Me” became an enduring affirmation of love and devotion for generations of listeners, has died.