DJ June バイオグラフィー
現在、ニューヨークで週5日レジデンスDJを務める売れっ子DJジューン。彼女が本格的にDJの道を歩み始めたのは約7年前のこと。最初はエンジニアになりたくて、マンハッタンにある専門学校、インスチチュート・オブ・オーディオ・リサーチで基礎を勉強した。ここは、ジューンの先輩にあたるDJカオリが通ったことでもよく知られている。ある日、ブルックリンのレコード店、「ビート・ストリート」の従業員募集の広告をみつけた。ヒップホップ、R&B、レゲエのヴァイナルとCDの専門店で、ニューヨークだけでなく、世界中からDJやプロデューサーが訪れる店がBeat Streetだった。ここなら一日中音楽を聴いていられる。さっそく店員に応募した。
日本から来て間もない頃で、英語はあまりわからなかった。「ビート・ストリート」にやって来る客はブルックリンというファンキーな土地柄なせいか、英語の発音もブロークンだしスラングばかり並べ立てるので聞き取ることもままならなかった。「なんだおまえ、英語もわからないのか。」と客から相手にされなかったのがとても口惜しかった。「とにかく音楽を覚えよう。この店にあるレコードを全部暗記してみせる。」と片っ端からノートを取った。だんだん、アーティスト名や曲名が耳にすんなり入ってくるようになった。
チャンスが訪れたのはジェイZの人気が絶頂を極めた2002年頃、ジェイZのブルー・プリント・ツアーのDJで、元EPMDのDJとして名を馳せた、スクラッチが店にレコードを買いに来た時のこと。当時、最もホットなDJスクラッチが来たというのでビート・ストリートの店員たちは浮き足立った。ここでうまく応対すればフックアップしてくれるかもしれない。いつも怠けている若い黒人の店員がスクラッチに擦り寄って彼の差し出したクラシック(R&B)レコードのリストにある曲を探すのだがみつからない。すでにジューンは店に置いてあるレコードのほとんどを暗記していた。リストにある曲はコンピ・アルバムの収録曲だった。ジェームス・ブラウンの曲でもJのセクションにないことも多い。同じコンピに収録されているベティ・ライトのBの棚ならあるかもしれない。Bを探したら Bingo! あった!スクラッチの探していたレコードはこうしてジューンが全部みつけてあげた。驚いたスクラッチ、それ以来、店にやってくると脇目もふらずにジューンのところにやってくるようになった。DJトニー・タッチ、DJフーキッド、DJミスターC……..みんなジューンの常連となった。
店員だけでは飽き足らず、店にあるターンテーブルで DJの真似ごとをしているうちに本格的にクラブで回したくなった。最初は地元、ブルックリンの何だかいかがわしそうなバーでヒップホップやレゲエのレコードを回した。初日はそれこそ常連のアル中がかったオヤジが数人たむろしている程度だったが、2~3週間後には外に行列ができるほどの繁盛ぶりに店のオーナーもびっくり。DJジューン の名前は瞬く間に知られるようになった。以来、ビート・ストリート時代に築いた人脈のお陰か、マンハッタンのクラブからもDJのオファーがくるようになった。リモート・ラウンジのような小さなクラブから、クラブNV(Club NV)、アヴァロン(Avalon)、デュベット(Duvet)、マーズ2112、ロット21 (Lot 21)、チャイナ・クラブ(The China Club)、コパカバーナ(Copacabana)などの有名な大バコ、さらにWホテル、タイム・ホテル、エンパイア・ホテルなどお洒落なブティック・ホテルのラウンジ・パーティーまでさまざまなダンス・フロアーを湧かせるDJに成長した。
尊敬する先輩のDJたちと共にフロアをシェアする機会にも恵まれた。グランドマスター・フラッシュ、ファンクマスター・フレックス、ビズ・マーキー、キッド・カプリ、レッド・アラート、アフリカ・バンバータ、クール・ハーク、DJイナフ、クラーク・ケント、DJプレミア、Qティック、ジャスト・ブレイズ、マーリー・マール……..ヒップホップ業界の大御所ばかりだ。
セレブの誕生日やプライベート・パーティーにも声がかかるようになった。Pディディー、リル・キム、ジャメィン・デュプリ、ジェイZ、ケィティー・ペリー、ブラック・アイド・ピーズ、ジム・ジョーンズ…….など枚挙にいとまがない。
師と仰ぐDJスクラッチから持っていない音源をもらうことができるのも、スクラッチが彼女のスキルを認めているというリスペクトの表れだし、プロデューサー/DJのジャスト・ブレイズも、「ジューンはNYナイトライフに欠かせない存在。彼女の音楽知識の豊富さには驚いたね。選曲サイコー!」と手放しで絶賛!「彼女はベストのDJだ!」とDJトニー・タッチ(a.k.a. Tony Toca)からもお墨付きをもらっている。
DJのスタイルの基本はヒップホップだが、オールド・スクールでも最新のヒップホップでも対応可。クラシックR&B、ディスコ、ポップ、レゲエ、ハウス、マッシュアップ、とにかく古いものから新しいものまでホットな音楽をセレクトするジューンのセンスは確かだ。週末はアトランティック・シティーのトロピカーナ・ホテルのクラブでのギグ、いろいろな客のティストに合わせ、フロアを盛り上げるコツも習得した。オール・ジャンル but クール。実家が姫路の某有名包丁店のせいかジューンのDJさばきは「切れ」がいい…….というのは余談。
アメリカのメディアでも話題のジューンの活躍ぶり
XXLマガジンにも堂々カラー1頁で紹介され、ドクター・ドレの大特集を組んだスクラッチ・マガジンでも、「ジューンにとって英語は第二外国語かもしれないがビーツは母国語!」と彼女の音楽性を讃えた記事が掲載された。ジューンがNYのナイト・ライフのスターの座を手中に収めることができたのは生まれもっての美貌と基礎から学んだスキル、プラス、日本人特有の勤勉さと決して奢らない謙虚さによるのではないだろうか。
毎週(火)スートラ・ラウンジで開催されているオールド・スクール・パーティー、「トーカ・チューズデーズ(Toca Tuesday)」はトニー・タッチから直接DJを依頼された仕事で、ジューンにとっても一番リラックスして楽しんでいるパーティーなので是非体験してほしい、とは本人DJジューンよりのコメント。NY地区以外の人は、 毎週水曜日放送のDJスクラッチのインターネット・ラジオwww.ScratchVision.comの「東京ドリフト」で彼女のDJぶりを堪能して頂きたい。