Tag Archives: ルビー・ディー

ブロードウェイ・デビュー最年少の黒人女性劇作家、ロレイン・ハンズベリー

Black History Month 2

Lorraine Hansberry – A Raisin In The Sun

2月は黒人歴史月間です。PBS TV(公共テレビ放送局)では、ブラック・ヒストリー・マンスのシリーズ第一弾として、「ロレイン・ハンズベリー・ドキュメンタリー映画」を放映しました。日本ではあまり知られていないかも知れませんが、ブラック・カルチャーに貢献したロレインをここで紹介したいと思います。

「ア・レーズン・イン・ザ・サン」byロレイン・ハンズベリー

女性劇作家、ロレイン・ハンズベリーのデビュー作品、「ア・レーズン・イン・ザ・サン」は今から59年前(!!!)、1959年の3月、ニューヨークのブロードウェイで幕開けをしました。史上初の黒人女性劇作家、28歳という若さでの快挙でした。作家だけでなく、監督、ほとんどの俳優たちが黒人という、これまでのブロードウェイ・ショーの常識を覆した、黒人が主役のドラマ「ア・レーズン…..」は大成功を収めました。

サウスサイド

舞台はシカゴのサウス・サイド。元大統領夫人、ミシェール・オバマや、ラッパーのコモンなどの出身地としても知られています。ニューヨークのハーレムとよく比較される、黒人のゲトー地区です。1930年代、ミシシッピーやアラバマ州など、南部のプランテーションなどに住んでいた黒人たちが、マシな仕事を求めて一斉に北部に移住しました。その多くがシカゴやカンザスシティなどの都会に落ち着きました。人口が大量に流入したため、シカゴでは住宅が不足し、黒人たちは狭くて汚いアパートに住まざるを得なかったのです。家賃は白人の倍以上要求されるという悲惨な状況でした。

貧困

ドラマの年代ははっきり定められていませんが、まだ人種差別が合法だった1940-50代初期かと思われます。物語は、父親が亡くなってその生命保険のお金の使い道をめぐって家族が争うところから始まります。主な登場人物は、貧困と闘いながらも清く正しく生きようとする敬虔なクリスチャン、60近い母リーナ、リーナの35歳の息子で、しがない白人のお抱え運転手のウォルター・リー、ウォルターの妻のルース、10歳の子供トラヴィス、ウォルターの妹、医者志望で20歳の大学生、ベニ―サ。家族5人がゲトー地区、サウスサイドの3部屋しかないアパートにひしめき合って住んでいます。

主な登場人物と舞台を務めた俳優

リーナ クロ―ディア・マクニール
ウォルター・リー シドニー・ポワチエ
ルース ルビー・ディー
ベニ―サ ダイアナ・サンズ
トラヴィス グリン・ターマン

第一幕

母親のリーナは、保険金の一部を頭金にしてもっと広い一軒家を買いたいと望みます。ウォルター・リーはそのお金を投資して酒屋を始めたいと言います。いつまでも白人のお抱え運転手なんかやっていられない、「イエス・サー。ノー・サー。」なんて毎日へつらうのはもう我慢ができない、小学生の息子トラヴィスから尊敬される父親でありたい、と母に不満をぶちまけます。学歴もなく、何をやっても思うようにゆかず、ウォルター・リーは酒に溺れてゆきます。リベラルで現代的(1940年代当時)な妹のベニ―サは、医者になるための学資が必要だと言います。ウォーター・リーの妻ルースは妊娠していることを知り、これ以上子供が増えても養えない、生みたいけど……….,と中絶を考えます。それぞれのはかない夢、叶う日は来るのだろうか……..。

第二幕

やがて、待望の保険金の小切手、10,000ドル(当時のお金で約100万円)が届きます。リーナはそのうちの$3,500を、一軒家を買う頭金にしようと考えます。息子のウォルター・リーが商売をやることには賛成するものの、、お酒で金儲けをするというのはクリスチャンの精神に反すると………、悩みます。夫が残してくれたお金は家族みんなで平等に使おう、リーナは決心します。「これからはウォルター・リー、あなたが家族の長だから」と、妹のベニ―サの教育費 $3,000を含め、彼のビジネス資金に$3,500、合計$6,500渡します。

保険金の一部を母から譲り受け、酒屋をオープンする資金にすべく、ウォーター・リーは友達のボボを信用してお金を託します。母のリーナには内緒で、妹の学資も「投資」という名目で全額渡してしまいます。あとで返せばいい…….。ボボの知り合いでビジネスのパートナーのウィリーが全て仕切っているという…….。

リーナが買った家は白人地区にありました。地元の白人を代表するという不動産屋の回し者、カール・リンドナーが家族を訪れます。「あなたがたが買った家をもっと良い条件で買いたい。」と申し出ます。「あの地区に引っ越しても、反発をかうだけでよいことはありませんよ。自分たちの居場所をわきまえたほうが賢明かと思います。」と慇懃無礼なオファーを持ちかけるのです。「後日、お返事を聞かせてください。」と名刺を置いてリンドナー氏は帰りました。

ボボから、ウィリーが彼らのお金を持ち逃げしたと告げられ、ウォーター・リーは愕然とします。一縷の夢が消えてしまった…….。

母がウォルター・リーにリンドナー氏が来たこと、家を高く買いたいと懇願されたことを告げます。「その金があれば、ビジネスの資金にできる…….」という邪な考えがウォルター・リーの頭をよぎります。

 第三幕

リーナは家は売りたくない、と強固にかまえます。「私たちは、何代にもわたって奴隷や小作人としてこき使われてきたけれど、自分たちが卑しい人間だと思ったことなど一度もない。お金で自分たちの魂を売り渡すようなマネだけは決してしない。」と宣言します。

リーナは、「一家の長である」ウォルター・リーに最後の決定を委ねます。ウォルター・リーは、どうしてもこの最後かもしれないビジネス・チャンスを逃したくありません。リンドナーに「家の件は検討する。再度、話し合いたい。」と連絡します。「この金があれば、全てうまくゆく。」ウォルター・リーは、悪魔に魂を売り渡そうとします。

引っ越しの当日、リンドナー氏がやって来ます。「どうですか、やっと家を売る気になりましたか。」と薄笑いを浮かべ、手をこまねいて不動産手続きの書類にサインするよう要求します。その瞬間、ウォルター・リーは計り知れない嫌悪感を感じます。「人生にとってお金よりもっと大切なものがある。このままでは、自分は人間としての尊厳を失ってしまう。」ウォルター・リーはリンドナーにきっぱり言います、「私たち家族にはプライドがあります。家は売りません。予定通り、今日引っ越します!」

家族がひし、と抱き合いハッピー・エンドを迎えます。

28歳の成功

この感動的なドラマ「ア・レーズン・イン・ザ・サン」で、ロレイン・ハンズベリーは一躍有名になりました。

黒人たちが直面している問題に焦点を当てたこの作品は、ブラック・コミュニティーの間で大評判となりました。当時、映画が85セントなのに対し、ブロードウェイのチケットは4ドル80セントもするのに、決して裕福ではない黒人たちが詰め掛けたのです。

父の葛藤

実は、この物語は、劇作家のロレイン・ハンズベリーの実体験に基づいていると言われています。彼女の父親、カール・ハンズベリーは不動産で財を成し、シカゴのサウスサイドでアパート経営をしていました。1938年、父、ハンズベリーは築いた富で白人地区に家を買ったのです。引っ越してきてから、白人の住民たちからの嫌がらせに耐え、父は法廷で闘い、最高裁まで訴訟が持ち込まれました。ロレインの部屋の窓めがけて大きな石が投げられ、あやうくケガする寸前だったことも多々ありました。幼い少女だったロレインにとって、人種差別に真っ向から立ち向かい、勝利をものにした父親は偉大なヒーローでした。その頃から、彼女の中に世の中の不平等と闘っていこうという反骨精神が芽生えてきたのでしょう。1950年、20歳のロレインはニューヨークのハーレムに住み、シンガーで俳優の公民権運動家、ポール・ローブソンの左寄りの機関紙、「フリーダム」の編集アシスタントとして働く傍ら、プレイ・ライト(劇作家)として活動を始めます。

名声、早すぎる死

「ア・レーズン・イン・ザ・サン」の成功はロレインに富と名声をもたらしました。この後、いくつか作品を残しましたが、1963年、すい臓癌と診断され、2年後の1965年1月、ニューヨークの病院で息を引き取りました。34歳でした。葬儀にはマーティン・ルーサー・キング牧師からも弔電が届きました。彼女の作品に出演した俳優、シドニー・ポワチエ、ルビー・ディー、オッシー・ディヴィスの他、マルコムXも駆けつけたそうです。ロレインの死の僅か40日後、1965年、2月21日、マルコムが暗殺されるなど、誰が想像できたでしょう。

現在にも受け継がれるロレイン・ハンズベリーの感動劇

「ア・レーズン・イン・ザ・サン」、今ではすっかりお芝居のクラシックとして定着しました。1959年の初演大ヒット以来、全米各地で演じられソールド・アウトの続出。特に、2004年、ラッパーでバッド・ボーイ・レコードCEOのPディディーが参加したブロードウェイ・ショーは話題になりました。演技はシロウトのディディーですが、黒人の葛藤とプライドを題材にした。ロレイン・ハンズベリーの作品を若い人たちへ伝えるチャンスを拡大したという意味でとても意義があると思います。大胆にも、初舞台でシドニー・ポワチエが演じたウォルター・リーの役を務めたディディー、フィリシャ・ラシャッド、オードラ・マクドナルドなど、回りをベテランの演技派俳優で固めたことが、かえってディディーの大根役者ぶりを際立たせる結果になってしまったのは皮肉だとしか言いようがありませんが……..。

Advertisements

差別と戦った日系人公民権運動家ユリ・コウチヤマをハーレム・アポロシアターがトリビュート The Apollo and WNYC honored the legacy of Japanese American civil rights activist Yuri Kochiyama

Yuri Kochiyama READ IN ENGLISH Happy MLK Day! 1月の第三月曜日、つまり今日19日はMLKことMartin Luther King Jr. Day(キング牧師デー)アメリカ公民権運動のリーダーで1968年に暗殺されたキング牧師を讃える日。特に今年は選挙権の人種による差別を禁じる連邦法Voting Rights Actが成立して50年という記念すべき年でもあります。アメリカの黒人は奴隷制解放の後も100年以上選挙権がもらえなかっただけでなく、あらゆる差別や不条理や貧困の中で生きて来た、それと戦ったのが公民権運動です。 日本からは遠い話に聞こえるかもしれませんが、実は人ごとではないです。 公民権運動がなかったら私たち日本人もこうやってニューヨークで幸せに暮らしたり、楽しく観光することもできなかったのですから ともあれ多くの催しの中から、今日は特に日本人と公民権運動とのつながりを実感させてくれたハーレム・アポロシアターで行われたイベントをご紹介しましょう。 アポロシアターのイベント「Hear Our Voices, Count Our Votes」 103937458 MLK DAYの前日行われたのがニューヨーク市営のラジオ局WNYCの主催のイベント「Hear Our Voices, Count Our Votes」。この日は朝から大雨のあいにくのお天気でしたが、アポロシアターには家族連れなど子供からお年寄りまでがぎっしり。黒人だけでなく白人やアジア人の姿も。キング牧師のレガシーを未来に伝えて行こうという強い意志が感じられます。 ニューヨークの著名なジャーナリスト、政治家、アクティビストらが50年の歴史を振り返りながら、話題は現在の問題、依然低い黒人の投票率や警察とブラック・コミュニティの関係をどうやって改善するか・・・などにも及びました。 イベントの一部はラジオ局のサイトで聞く事ができます。 http://www.wnyc.org/story/hear-our-voices-count-our-votes/ 公民権運動家ユリ・コウチヤマさん 中でも日本人として注目したいのは、公民権運動に大きな力となった女性たちへのトリビュート。いずれも去年亡くなった大女優ルビー・ディー、オバマ大統領の就任式にも登場した国民的詩人のマヤ・アンジェルーに混じってその偉業を讃えられたのは日系人の運動家ユリ・コウチヤマさんでした。 2-300x220 今回ステージに立ったのは孫のアケミ・コウチヤマさん。カリフォルニア生まれの日系アメリカ人であるユリ・コウチヤマさんが、第二次世界大戦中はアーカンソーの日系人収容所に送られたこと。戦後はニューヨーク・ハーレムに移り公民権運動に参加し特にマルコムXを支援、彼が銃弾に倒れた時その体を支えた事などを語ると、ユリさんを知らない若い世代の聴衆は大きく息を飲んでいました。 IMG_4011 今年は第二次世界大戦が終わって70年。アメリカ人でありながら「敵」としてすべてを失い収容所に送られるという不条理な体験をしたのみならず、南部の厳しい人種差別に直面し公民権運動家になったユリさんは、まさに激動の歴史は互いにつながっていることを教えてくれます。 プエルトリコの独立運動、反核、政治犯の釈放などあらゆる不平等や不当な行為と戦い続け、去年の6月、93年の波乱の生涯を閉じました。 今も世界中で続く人種間の軋轢。多くのテロ事件も人種差別や偏見と大きくかかわっています。奴隷制という人類史上最悪の負の遺産と、黒人はどう戦って来たのか? 公民権運動の歴史を知る事は、たった今の世界を理解することでもあります。 (シェリーめぐみ)

ハーレム・ルネッサンスの大女優ルビー・ディー 1922-2014

ruby-dee
READ IN ENGLISH

ハーレム・ルネッサンスを生きた女優、公民権運動家としても知られるルビー・ディーが91歳の生涯を終えました。NYのニュー・ロシェールの自宅で子供たち、孫たちに見守られて静かに息を引き取ったそうです。

57間連れ添った夫でやはり俳優のオッシー・ディヴィスがなくなった2005年以降も活動を続け、2007年に公開された映画、「アメリカン・ギャングスター」にデンゼル・ワシントン演ずる主役、フランク・ルーカスの母親役で出演、アカデミー賞にノミネートされています。

A Raisin in the Sun

A Raisin in the Sun

ルビーの女優としてのブレイクは1959年にオープンしたブロードウェイ・ショー「Raisin In The Sun」でした。原作は29歳の黒人女流作家、ロレイン・ハンズベリー、監督も黒人のロイド・リチャーズ、キャストも白人弁護士を除く全員が黒人という、ブロードウィ・ミュージカル史上初めてのブラック・ドラマでした。演技派の代表、シドニー・ポワチエが熱演した主人公のウォルター・リーの妻役、ルースをルビーが見事に演じ、初日から観客全員が総立ちで絶賛、1961年には同じキャストで映画化されています。シカゴの貧民街、サウス・サイドの人種差別問題を扱った「レィズン・イン・ザ・サン」は、これまでのブロードウェイ・ショーの常識を打ち破った社会派ドラマで、以後のブラック・カルチャーにも大きく波紋を投げかけた重要な作品だと言われています。

RubyDee-activist

60年代、ルビーは夫のオッシー・ディヴィスと共に、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、マルコムX等、公民権運動のリーダーたちと共に闘い、生涯を通して黒人の人権問題人種偏見撲滅運動を推し進めてきました。

生まれはオハイオ州のクリーヴランドですが、「育ったハーレムが私の故郷」とハーレム住人としての誇りを持っていたそうです。

先週の金曜日、ニューヨークのブロードウェイ・ショーの劇場はすべて照明を落とし、ルビー・ディーの功績を讃えました。

ruby-dee-recent