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A Great Day In Hip Hop 1998 – 20周年記念イベント 於Schomburg Center in Harlem, NY

A Great Day of Hip Hop (1998)

日本ではほとんど知られていないと思いますが、1998年、まだスタートして間もないヒップホップ雑誌、XXL(ダブル・エックス・エル)が、ヒップホップ・アーティスト200人あまりを集め、ハーレムの路上で記念撮影をした写真、 A Great Day In Hip Hopを掲載しました。

撮影したのは、黒人エンターティナーの間ではレジェンド的存在のセレブ・フォトグラファー、ゴードン・パークスです。当時はまだ珍しかった黒人探偵を主人公にした映画、「シャフト」を監督したり、写真だけでなく、映画監督としても有名でした。時間にはルーズと悪評の高かったヒップホッパーたちを一堂に会することができたのも、ひとえにゴードン・パークスの功績と言えます。

 

MCたちの間ではキングと言われたラキムやスリック・リックを始め、クール・モー・ディー、クール・キース、KRSワン、そして、伝説のDJ、グランドマスター・フラッシュ、ジャジー・ジェフ、キッド・カプリ、チャック・チルアウトなど、朝の10時集合という、夜明けまでチル組の彼らには過酷な条件にもかかわらず、なんと200人が集まるという驚異…….。

 

当時はまだ若手だったコモン、モス・デフ、タリブ・クウェリ、ノーティー・バイ・ネィチャー、ファット・ジョー、ブスタ・ライムズ、デ・ラ・ソウル、Qティップ、チャネル・ライヴ、ブラック・ムーン、ビッグL、ジャメィン・デュプリなど、まるで、その日にニューヨークにいたラッパーたちが全員集合したかのよう。

この企画は、その40年前の1958年、全く同じ場所にて行われたジャズ・ミュージシャンたちを集めたエスクワィア・マガジンの記念撮影、A Great Day In Harlemに敬意を表し、そのヒップホップ版として行われました。

A Great Day In Hip Hop 20周年記念イベント, ハーレムにて開催

A Great Day In Hip Hopから20年、あの時の撮影のアウトテイクを集めた写真集、「Contact High – A Visual History of Hip Hop」の刊行を記念して、ハーレムのショーンバーグ・センターにて記念イベントが11/7(水)に開催されました。


パネル形式で、当時のXXL編集担当だったシーナ・レスター、そのアシスタントで現在はVibe Magazine編集長、ディトワン・トーマス、ヒップホップ界のアイコン、ファブ5フレディ、ヒップホップ・ライターのマイケル・ゴンザレス、そして当時売り出し中だったラッパー、The Lox のスタイルズPの5人が、1998年の記念撮影の模様を語ってくれました。

以下、その模様をレポートいたします。

まずは、映像クリエィター/ライター、ネルソン・ジョージ監修の、20年前の撮影風景を綴ったドキュメンタリー、「A Great Day in Hip Hop」を上映。

進行役は、20年前の駆け出しのアシスタントから、Vibe マガジンの編集長へと昇りつめたディトワン・トーマスです。この企画の話を聞いた時は、「まさか、そんなことができるとは思わなかった。」と回想しています。その時のボスだったXXLのシーナ・レスターが、自分の企画で動き始めたプロジェクト、「ア・ディ・イン・ヒップホップ」が実現するまでのいきさつを語ります。

Sheena: 1958年に、エスクワィア誌がジャズ特集を組んで、その時に、ハーレムの路上に一世を風靡したジャズ・ミュージシャンを集めて記念撮影した写真を、堂々、見開きで掲載して話題を集めたことがありました。そのヒップホップ版をXXLでやろうということになったんです。黒人写真家、ゴードン・パークスに撮影を依頼するというのは、有名パブリシスト、レスリー・ピッツ(マイケル・ゴンザレスのガール・フレンドで翌、1999年逝去)のアイディアでした。

彼女からミスター・パークスの電話番号をもらって、恐る恐る聞いてみたんだけど、頭ごなしにノー!レスリーも頼んでくれたんだけど、やっぱりノー、と断られたの。それでも食い下がって、‘この仕事をしたがっているフォトグラファーはいくらでもいるんです。でも、あなた、ゴードン・パークスでないとできない撮影なんです。’って嘆願して、やっと三度目にオーケーしてもらいました。

一流ファッション誌「グラマー」に起用された、黒人で初のファッション・フォトグラファー、この撮影時85歳だったゴードン・パークスは、ブラック・エンターティナー達からも一目置かれている存在でした。

撮影現場に来るように、と言われたマイケル・ゴンザレス、当時はソース・マガジンやヴァイブ・マガジンなどで、アーティスト・インタビュー等、多忙を極めていました。同棲していた彼女、パブリシストのレスリーから、「凄いことになるから、必ず現場に来てレポートしてね。」を言われたのですが、行くつもりはなかったそうです。その辺のところを、本人が説明します。

Michael: オレ、あの時はすでに30台半ばで、大勢のラッパーのインタビューをしてきたけど、一人として時間通りに来た試しがなかったね。そんな調子だったから、この撮影の話をレスリーから聞いた時、‘実現するのかな、’と半信半疑だったんだ。レスリーはその朝、けっこう早く出たんだけど、オレはぶらぶらしていたんだ。昼前に、レスリーの携帯から電話がかかってきて、‘凄いことになってるから、今すぐ来なさい。’と言われて、タクシーで現場に行ってみたら、本当にすごい人数のヒップホップ関係者が集まっていてびっくり。ラッセル・シモンズ、シャキール・オニール、ラキム、とにかく、ヒップホップ界で活躍してる連中が勢ぞろい。本当に凄かったね。

さらに、ディトワン・トーマスもその時の様子を語ります。

Datwon: いやぁ、壮観だったよね。今日、来てるスタイルズPなんて、ベテラン勢に交じって、まだ The Loxが売り出し中の新人だったのに、ちゃっかりラキムとか、スリック・リックとかと最前列の中央に並んでたよね。ちょうど、みんなが揃って、‘はい撮影’っていう時になって、ラン・DMCのランが、ゆっくり歩いてきたんだ。みんなが、よぅラン(走れ)、ラン(走れ)って叫んでいるのを聞いて、奴、自分のことをRunと呼ばれてると思ったのか、ちっとも急がないんだ。(笑)

スタイルズPもそれを受けて、

Styles P: オレ、めちゃ興奮したよ。だって、ラキムだぜ。ずっと憧れてたし…….。ピート・ロックとか、グランド・マスター・フラッシュとか、すげぇメンツで、マジ、ぶっ飛んだね。

Datwon: オレもそう。それまで、ジャケ写とかでしか見たことのないアーティストがずらーっと並んでて、そりぁコーフンした。それに、アーティスト同志もすげぇ盛り上がってたよね。普段はコワモテでクールに決めてる若手ラッパーとか、もう、グルーピー丸出しで、‘ヒェー、ラキム!!’とか叫びながら走り寄ったりして。(笑)あの日は、確か、大統領だったビル・クリントンがハーレムに来るとかで、交通が遮断されたりしていたのに、よくみんな集まれたよな。そのせいかな、ローリン・ヒルが来るはずだったのに渋滞で間に合わなかったとか。(爆笑)
(ローリンは遅刻常習犯で有名)

この後、DJの神様的存在のグランドマスター・フラッシュが登場。この晩のパネルに飛び入り参加。フラッシュという名前は、手さばきがあまりに素早いところからついたニックネームです。

Flash: あの頃、MTV の番組、Yo! MTV Rapsとかでヒップホップを盛り上げてくれた、ファブ5フレディが来てくれてるけど、オレにとっては忘れられない出来事があるんだ。まだ、オレがブロンクスの奥地のクラブとかで回していたある晩、フレディがゲストを連れてきてくれた。黒人の客しかいないクラブに、白人の、それも金髪の女の人が入ってきた!いやぁ、驚いたね。80年代のブロンクスだぜ。それが、すでに売れっ子だったブロンディ、デボラ・ハリーだった。彼女が、DJブースに来て、オレの耳元で囁いたんだ、「あたし、あなたのための曲を書くわ。」って。それが、のちの大ヒット曲、”Rapture”だよ。

オールド・スクールは奥が深いですね。ファンにとってはたまりません。いろいろ秘話も聞けて、とても楽しいイベントとなりました。

200人ものヒップホッパーがハーレムに集まることができたのは、やはりゴードン・パークスという偉大なフォトグラファーのお蔭だったようです。現場に来ていたMC、DJ、ライター、写真家、レーベル関係者など、ミスター・パークスに握手を求めたり、と和やかで楽しい撮影風景が浮かんできます。

実は、私もマイケル同様、20年前、このプロジェクトのことは聞いていたのですが、やはり、半信半疑というか、ヒップホップ業界ではよくある、現場に行ってみないと「詳細不明」というので、行きませんでした。そのことは今でも悔やまれます。

伊藤 弥住子

 

「Amy」 エィミー・ワインハウス衝撃のドキュメンタリー映画

Amy_Winehouse

Read in English

Документальный фильм о Эми Уайнхаус

2011年に亡くなったエィミー・ワインハウスの実録映画「エィミー」が本国のイギリスに続きアメリカでも公開されました。享年27歳という若さ、グラミー賞を総なめにしたりその人気の頂点に立っていたという事実、そしてなによりも、コカインやクラックなどのドラッグとアルコールによるオーバードースというショッキングなエィミーの死のニュースは一瞬にして世界を駆け巡りました。

Amy_Movie_Poster

インド人でイギリス国籍の監督、良質のドキュメンタリー映画を制作することで知られているアシフ・カパディアは、「エィミー」を、あくまでも「ひとりのミュージシャン」として描こうとしました。本来の彼女の姿を忠実に表現するために、あえて「ドラマティック」な演出はせずに、淡々としたナレーション、インタビューで綴っていきます。

amy-winehouse-fight-lgエィミーの親しかった友達で初期のマネージャーを務めたニック・シャイマンスキー、仲良しの女友達、ローレン・ギルバート、元旦那のブレイク・フィールダー・シィヴィルなど一般人の他、プロデューサーのサラーム・レミ、マーク・ロンソン、ラッパーのモス・デフ(ヤシーン・ベイと改名)などが登場、エィミーの過去のインタビューや映像、ライヴ音源など、初公開のフッテージ満載で、彼女の素顔がだんだん見えてきます。

Mark Ronson: NME 17/01/2015 Pub orig

Mark Ronson: NME 17/01/2015 Pub orig

エィミー・ワインハウスのファン必見の作品です。メディアではただのワガママなジャンキー、みたいな扱い方をされていましたが、実際の彼女はとても繊細でシャイな人でした。自分を表現することが苦手で、不器用は人なのです。「私はミュージシャンだから……」と何度もコメントしています。エィミーは「スター」になんかなりたくなかったのです。

突然、グラミーにノミネートされてしまったり、有名スターたちからコラボを申し込まれたり、もちろん嬉しいには越したことはないのですが、心の準備ができていなかったのだと思います。不安を紛らわすためか、酒の量は増えるし、コカインやそのほかの薬物の摂取量もどんどん増えていったようです。

Ronnie_Spector2007年5月8日、アルバム「Back To Black」の大成功でアメリカ・ツアーを果たしたエィミーのライヴ・パフォーマンスを観ることができました。バックを務めたのはアメリカの本格的ソウル・バンド、ダップ・キングスです。まるで60年代全盛だったロネッツのコンサート見ているような錯覚に陥ってしまいました。あの頭のてっぺんを思い切り膨らませたビーハイブ・ヘア・スタイルと太い真っ黒なアイラインはロニー・スペクターそのもの。

「私、ずっとこのスタイルなの。これが好きだから。」と、ビヨンセやリアーナなど主流のハイ・ファッションとは真逆ともいえるレトロ路線を貫くところなど、強烈な個性がエィミーの魅力ともいえます。オールディーズなのはファッションだけではありません。モータウンやフィリー・サウンドの大ファン、サム・クックの曲のカバーを歌ったり、かなりのソウル・オタクだったようです。

Amy outside her Gran's flatアメリカ公演のおり、エィミーに取材する機会に恵まれました。プレス嫌いで有名な彼女ですが、レコード会社の契約で無理やりやらされて仕方なく……というのが丸見え。とても居心地が悪そうで、なんだか申し訳ないような気持ちになりました。ふてくされているくせに、取材場所のホテル内のバーのバーテンの男の子には、「ヘィ、ベィビー、元気!」とにこやかに声をかけたり………。”Rehab” がバカ売れしていた時だったので、「なぜアル中になってしまったんですか。」と質問したところ、「みんな(ロンドンでは)お酒飲んでたし、若い女の子たちはみんなパーティーとかで飲むし、ごく自然にそうなっちゃった。」という答え……..。ということはロンドンはアル中だらけ、ということなのでしょうか。

Amy-amy-winehouse-27051243-500-690映画「エィミー」は、まだ若かりし彼女の姿を収めたホーム・ビデオなど、素人の映像も多く、ビジュアル的にはキツイところもありますが、27歳という若さで亡くなってしまったので十分な素材がなかったので仕方がないのでしょう。登場する人たちがUK勢なので当然ブリティッシュ・イングリッシュ、ありがたいことにアメリカ人の観客向けに英語字幕がついています。イギリス人でもアメリカ生活の長いプロデューサーのマーク・ロンソンや、マイアミに拠点をおくプロデューサー、サラーム・レミ、そしてブルックリン出身のラッパー、モス・デフのインタビュー部分は字幕なし、です。

Amy's family albumジャンキーのボーイフレンドのインタビューやドラッグ関連の映像などハードコアな面もありますが、リハーサル風景やライヴ・シーンもあって音楽的にも十分楽しめます。エィミーのお父さん、ミッチ・ワインハウスが頻繁に登場するのですが、その行動が「娘を食い物にする」かつてのビヨンセ・パパを彷彿とさせます。本人曰く、「この映画は自分を悪者に仕立て上げている。事実ではない!」と抗議しているとか……..。ニューヨークのリンカーン・センター近くの映画館で観たのですが。オーディエンスは白人の中年のカップル、または白人の中年女性のグループが多かったようです。

絶賛上映中

(伊藤 弥住子)