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Malcolm X Day – 生きていたら94歳、誕生日おめでとう、マルコムX

Happy 94th Birthday, Malcolm X

5月19日はマルコムXのお誕生日です。生きていたら94歳になります。

黒人社会だけでなく、世界に影響を及ぼしたマルコムXの功績をいま一度おさらいしてみませんか。

マルコム・リトル、1925年5月19日、ネブラスカ州オマハ生まれ。父親のアール・リトルは「アフリカに帰ろう運動」の指導者、マーカス・ガーヴィーの支持者で、その組織、UNIA (Universal Negro Improvement Association) のオマハ支部長でした。黒人の尊厳を主張し、誇り高い父親でしたが、その、“白人には屈しないぞ”という態度は、クー・クラックス・クラン (KKK) など、白人至上主義者たちから反感を買い、目の敵にされます。とうとう、マルコムが6歳だった1931年、アール・リトルは手足を縛られ、市電 (streetcar) に轢き殺されてしまいます。マルコム少年は、父を殺したのは紛れもなくあいつ等(白人至上主義者)の仕業だと信じ込み、白人たちを忌み嫌うようになりました。

自暴自棄な青春時代を送り、刑務所で「Nation of Islamネィション・オブ・イスラム」という、ブラックのモスレム過激派組織のことを知ります。指導者のエライジャ・モハメッドに、手紙を書き、ネィション・オブ・イスラムに入門しました。出所後は、心を入れ替え、イスラムの教えに従い、「NOI ネィション・オブ・イスラム」の活動に身を捧げようと誓います。こうして、奴隷を引きずっていた「マルコム・リトル」は、「マルコムX」に生まれ変わったのです。背が高くハンサムな容貌、カリスマ性とパワフルで巧みな演説で、マルコムはやがてエライジャの右腕的存在になります。

厳しい表情で演説するマルコムの印象が強いのですが、知られざる面もたくさんあります。たとえば、当時流行っていたダンス、リンジー・ホップがすごく得意でダンス・コンテストで優勝したりとか、まだ NOI に入る前、ハーレムのレストラン、「ジミーズ・チキン・シャック」で冗談をいいながら皿洗いをしていた仲間が、のちに有名なコメディアンになったレッド・フォックスだったり……。映画、「風と共に去りぬ」を観た時、スカーレット(ヴィヴィアン・リー)の女中、プリッシー(バタフライ・マクィーン)の甲高い声と、描かれ方のバカさ加減に幻滅したなどなど…..。

マルコムXの功績を知る上でとても役に立つのが、黒人作家、アレックス・ヘイリーの書いた伝記、「マルコムX – The Autobiography of Malcolm X」です。スパイク・リー監督の1992年の映画、「マルコムX」も、ヘイリーの本に基づいています。なぜ、アレックス・ヘイリーなのか……..、それは、マルコム本人が伝記の執筆を依頼したのがヘイリーだったからです。エライジャ・モハメッドが、組織のティーンの女性メンバーを孕ませて子供を産ませている、という噂を聞いたマルコムはその実態を暴き、ネィション・オブ・イスラムから脱退します。そして、あたらな組織、アフロ・アメリカン・ユニティを立ち上げます。この頃から、自分の命は NOI に狙われている、もう長くない、と察知し、伝記を残そうと考えるようになりました。マルコムは、以前、「プレイボーイ」のインタビューで会ったライター、アレックス・ヘイリーに感銘を受けていました。掲載された記事は、マルコムの意志をそのまま伝えていたからです。彼なら任せられる…….。「この伝記が出た時に、まだオレが生きていたら奇跡だね」、ヘイリーにそうつぶやいたマルコムX。その懸念は残念ながら的中してしまいました。1965年2月21日、ハーレムのオーディボン・ボールルームで演説中に、マルコムは糾弾に倒れ、39歳の生涯を終えたのです。自叙伝、「マルコムX – The Autobiography of Malcolm X」が出版されたのは、マルコムの死後、1965年10月のことでした。

マルコムX 5/19/1925 – 2/21/1965

過激なブラック・カルチャー番組、「ソウル!」復活?

オプラやアシニオ・ホールのずっと前、ソウル・トレインより前に時代を先取りしていた黒人のTV番組がありました。番組のタイトルもずばり、「SOUL!」、黒人による、黒人のためのカルチャー番組でした。放映されたのは、ベトナム戦争の真っただ中、公民権運動や反戦運動で若者たちの意識が大きく変わった、まさに過渡期ともいえる、1968 – 1973の5年間です。ホストは、今のメディアには珍しい、自己主張の少ない陰の立役者的存在のゲイの黒人、エリス・ヘィズリップです。ニューヨークに拠点を置く公共放送テレビ局、NET (National Educational Television)、現在のWNETで1968年9月12日に放映が始まり、瞬く間にブラック・コミュニティのお茶の間に広がりました。

 

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ブラック・ヒーロー、マーカス・ガーヴィー物語映画化決定!

映画、「ブラック・パンサー」が大当たりして黒人のヒーローが注目を浴びています。まだその興奮もさめやらぬ矢先、また、ブラック・ヒーローの映画が登場!今度は、実在の人物、マーカス・ガーヴィー物語です。

え、マーカス・ガーヴィーって誰か知らない…….?

今から100年近く前、「黒人諸君、アフリカに帰ろう」と唱えて一世を風靡したジャマイカ生まれの黒人がマーカス・ガーヴィーです。世界中の二グロ(昔は黒人を二グロと呼んでいました)を統一し、アフリカに帰って自分たちの国を打ち立てよう、というアフリカ回帰運動を全米に広めた彼の功績は、のちにボブ・マーリーなどのラスタファリアン運動や、マルコムXのネィション・オブ・イスラム・ムーヴメントへと受け継がれます。

当時、黒人と言えば=奴隷、というイメージが浸透していましたが、ガーヴィーは、「我々黒人はもともと奴隷という身分だったわけではない。過去に素晴らしい文明を築いた誇り高き人類だ。我々、黒人たちが団結して自分たちの国を作ろう。」と、ブラック・イズ・ビューティフルを提唱し、ニューヨークのハーレムを皮切りに各ブラック・コミュニティで熱狂的に迎えられたのです。

ガーヴィーの生涯を映画化しようという動きは6年ほど前からスタートし、昨年の暮れに制作が完成したようです。映画公開の日程はまだ出ていませんがもう間近だそうです。

主役のマーカス・ガーヴィーを演じるのは、やはりジャマイカ出身でモデル/俳優のケヴン・ナヴェインです。まだあまり知られていませんが、アメリカではテレビや映画で注目され始めています。実物のガーヴィーと比べてずいぶんハンサムなケヴン、ずんぐりしたガーヴィーに近づけるため、体重を30キロほど増やし、役作りに励んだとか…….。

実在のマーカス・ガーヴィーについて読む

[Black History Month#2]ブロードウェイ・デビュー最年少の黒人女性劇作家、ロレイン・ハンズベリー

Black History Month 2
Lorraine Hansberry – A Raisin In The Sun

2月は黒人歴史月間です。PBS TV(公共テレビ放送局)では、ブラック・ヒストリー・マンスのシリーズ第一弾として、「ロレイン・ハンズベリー・ドキュメンタリー映画」を放映しました。日本ではあまり知られていないかも知れませんが、ブラック・カルチャーに貢献したロレインをここで紹介したいと思います。

「ア・レーズン・イン・ザ・サン」byロレイン・ハンズベリー

女性劇作家、ロレイン・ハンズベリーのデビュー作品、「ア・レーズン・イン・ザ・サン」は今から59年前(!!!)、1959年の3月、ニューヨークのブロードウェイで幕開けをしました。史上初の黒人女性劇作家、28歳という若さでの快挙でした。作家だけでなく、監督、ほとんどの俳優たちが黒人という、これまでのブロードウェイ・ショーの常識を覆した、黒人が主役のドラマ「ア・レーズン…..」は大成功を収めました。

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