В возрасте 57 лет умер певец Принс
4月21日木曜日、プリンスが亡くなったというニュースは世界中を駆け巡りました。朝10:07、ミネソタ州、ペィズリー・パーク内のレコーディング・スタジオのエレベーターの中でプリンスが息を引き取ったという正式発表はみなさんすでにご存じのことと思います。ハーレムのアポロ劇場でも看板に「プリンス追悼」のメッセージが表示され、地元の人たちが次々にお別れの挨拶をしに訪れました。
ブルックリンでも、その日の夕方、映画監督のスパイク・リーが自社「40エィカーズ&ア・ミュール」のオフィスのあるサウス・エリオット・プレースでプリンスを偲ぶブロック・パーティーを開催しました。ナズ、トライブなどとコラボしたことのあるDJ、Jピリオドが音楽を担当、プリンスのヒット曲をメドレーでかけ、天才ミュージシャン、プリンスの音楽に酔いしれました。それにしても、”Nasty Girl,” “Let’s Go Crazy,” to “1999,” “Kiss,” “When Doves Cry,”など、大ヒット曲だらけ……..。フィナーレはみんなが大好きな”Purple Rain”で盛り上がったようです。
プリンスが、1999年、クライヴ・ディヴィスのレーベル、アリスタ・レコーズに移籍した際にニューヨークでインタビューをしたことがあります。エホバの証人の熱心な信者だったプリンス、音楽の話はそっちのけで「神」について長々と語りました。昔のことなのでうろ覚えですが、自分の音楽の才能も神から授かった…….というようなことを言っていたような記憶があります。そして、ワーナー・ミュージックとマスターの権利を巡っての訴訟争いについて、自分がクリエイトした音楽を他の人間が所有するというのは神の意志に反する…….といったようなことも言っていました。10年ほど前に日本のTV用の取材の時、プリンスを近くで見るチャンスがあったのですが、肌がキレイで髪がつやつやだったのがとても印象的でした。きっと、美容に気を遣っていたのだと思います。
プリンスはライヴに定評があります。アーティストはそれぞれ個性的な演出をしますが、プリンスは特別です。天井から宙づりになって降りてきたり、サーカスまがいのパフォーマンスで観客の注意を引く、といった安っぽいやり方はしません。シャカ・カーンをサプライズ・ゲストで呼んでジャム・セッションをやるとか、ステージを会場の真ん中に設置して、自分がくるくる360度回転して、どこの席にいるオーディンスをも楽しませる…….とか。(後ろ姿でもファンキーなんです。)あくまでも音楽が主役、そういうステージ構成を考えるプリンスが私は大好きです。アーティストの中のアーティスト、それがプリンスです。その証拠に、プリンスのコンサートはかなりアーティスト率が高いのです。ニューヨークで見た時はアイザック・ヘイズ(まだ元気だった時です)やトライブのQティップ、クエスト・ラヴ等に遭遇、アトランタ公演の時はTLCのボズが私の前の席に座っていました。
(合掌)
伊藤 弥住子