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What’s Going On? 今だからこそ、マービン・ゲイの記念切手

毎年、新しい図柄の切手を発行しているアメリカですが、2019年度に発売する記念切手が発表されました。風景画やお花、動物などの絵柄のほか、有名人にちなんだ切手が注目されています。

どんな基準で選ばれたのかは定かではありませんが、2019年の Black Heritage Seriesとして、マービン・ゲイとグレゴリー・ハインズの二人のアフリカン・アメリカンが選ばれました。

マービン・ゲイ

モータウン・レコードの社長、ベリー・ゴーディーのお姉さんと結婚したマービン・ゲイMarvin Gaye (1939–1984) の、60年代後半から70前半にかけて、ベトナム戦争や警察官の暴力など、混乱をきわめたアメリカ社会に疑問を投げかけた名曲、「ホワッツ・ゴーイング・オン」は今でも多くの人々に愛されています。あれから年50近く経つ現在、快方に向かっていた人種問題が再燃。「この国はいったい、どうなってしまったの?」と多くの人たちがつぶやいています。まさに、What’s going on? です。

グレゴリー・ハインズ

タップ・ダンサーで俳優のGregory Oliver Hines (February 14, 1946 – August 9, 2003) はハーレム育ち。幼少の頃から、お兄さんのモーリス・ハインズと一緒にラップ・ダンスを踊っていました。125丁目にあるアポロ劇場にも、「ハインズ・ブラザース」として頻繁に出演していました。ブロードウェイ・ショー、映画など、俳優としても活躍、リチャード・ギア (The Cotton Club 1984)、ビリー・クリスタル (Running Scared 1986)、ダニー・グロヴァー (A Rage in Harlem 1991)、 ホィットニー・ヒューストン (Waiting to Exhale 1995) などと共演しています。グレゴリーは、すでにすたれ気味だったタップ・ダンスを盛り上げようと、タップ協会を結成したり、若手タップ・ダンサーを育成するなど、数々の功績を残しました。

70’s R&Bスター、キューバ・グディング Sr.アポロ劇場でお別れ会Cuba Gooding Sr. graces Apollo Theater stage one last time as family bids the singer farewell at memorial

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70年代に大活躍したR&Bグループ、メイン・イングリーディエンツのリード・シンガーだったキューバ・グディングSr.が4月20日に他界、この土曜日に生まれた街、ハーレムのアポロ劇場でお別れ会が開かれました。

彼の歌った大ヒット曲、「エブリバディ・プレイズ・ザ・フール」や、「ジャスト・ドント・ワント・トゥ・ビー・ロンリー」は今でも地元のラジオ局、WBLSでよくかかっています。他にも、「ローリング・ダウン・ア・マウンティンサイド」「ハピネス・イズ・ジャスト・アラウンド・ザ・ベンド」「ユー・ガット・トゥ・テイク・イット」「ユー・ビーン・マイ・インスピレーション」「スピニング・アラウンド」などヒット曲がたくさんあります。

グループ名の「メイン・イングリーディエンツ」って何だか変だなぁという印象をもっていたのですが、当時のコカ・コーラの瓶に書いてあったラベルから取ったというのを聞いて納得。だいたい、主成分なんて変ですよね。当時は思いつきでグループ名を決めていたようです。

 

キューバ・グディングが生まれたのは、アポロ劇場から数ブロック先。有名なアポロ劇場の「アマチュア・ナイト」に出場して「フーキャン・アイ・ターン・トゥ」を歌って拍手喝さい、スタンディング・オベーションで優勝した記録が残っています。

土曜日のアポロ劇場での「お別れ会」には、家族のエイプリル、オマー、トミーを始め、約150人の弔問客が集まりました。なぜか、キューバの息子で同名のオスカー受賞俳優のキューバ・グディング・ジュニアは欠席……..。

キューバ・グディング・シニアの死が発覚したのは4月20日、ロサンジェルスの繁華な通り、ウッドランド・ヒルに路上駐車したジャガーの中で死亡しているのが見つかりました。死因は不明ですが、警察の調べでは薬物によるオーバードースの確立が高いとのこと。

R.I.P.

プリンス追悼!Remembering Prince: June 7, 1958 – April 21, 2016

 

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В возрасте 57 лет умер певец Принс

4月21日木曜日、プリンスが亡くなったというニュースは世界中を駆け巡りました。朝10:07、ミネソタ州、ペィズリー・パーク内のレコーディング・スタジオのエレベーターの中でプリンスが息を引き取ったという正式発表はみなさんすでにご存じのことと思います。ハーレムのアポロ劇場でも看板に「プリンス追悼」のメッセージが表示され、地元の人たちが次々にお別れの挨拶をしに訪れました。

Prince - Apollo

ブルックリンでも、その日の夕方、映画監督のスパイク・リーが自社「40エィカーズ&ア・ミュール」のオフィスのあるサウス・エリオット・プレースでプリンスを偲ぶブロック・パーティーを開催しました。ナズ、トライブなどとコラボしたことのあるDJ、Jピリオドが音楽を担当、プリンスのヒット曲をメドレーでかけ、天才ミュージシャン、プリンスの音楽に酔いしれました。それにしても、”Nasty Girl,” “Let’s Go Crazy,” to “1999,” “Kiss,”  “When Doves Cry,”など、大ヒット曲だらけ……..。フィナーレはみんなが大好きな”Purple Rain”で盛り上がったようです。

Prince 1999プリンスが、1999年、クライヴ・ディヴィスのレーベル、アリスタ・レコーズに移籍した際にニューヨークでインタビューをしたことがあります。エホバの証人の熱心な信者だったプリンス、音楽の話はそっちのけで「神」について長々と語りました。昔のことなのでうろ覚えですが、自分の音楽の才能も神から授かった…….というようなことを言っていたような記憶があります。そして、ワーナー・ミュージックとマスターの権利を巡っての訴訟争いについて、自分がクリエイトした音楽を他の人間が所有するというのは神の意志に反する…….といったようなことも言っていました。10年ほど前に日本のTV用の取材の時、プリンスを近くで見るチャンスがあったのですが、肌がキレイで髪がつやつやだったのがとても印象的でした。きっと、美容に気を遣っていたのだと思います。

プリンスはライヴに定評があります。アーティストはそれぞれ個性的な演出をしますが、プリンスは特別です。天井から宙づりになって降りてきたり、サーカスまがいのパフォーマンスで観客の注意を引く、といった安っぽいやり方はしません。シャカ・カーンをサプライズ・ゲストで呼んでジャム・セッションをやるとか、ステージを会場の真ん中に設置して、自分がくるくる360度回転して、どこの席にいるオーディンスをも楽しませる…….とか。(後ろ姿でもファンキーなんです。)あくまでも音楽が主役、そういうステージ構成を考えるプリンスが私は大好きです。アーティストの中のアーティスト、それがプリンスです。その証拠に、プリンスのコンサートはかなりアーティスト率が高いのです。ニューヨークで見た時はアイザック・ヘイズ(まだ元気だった時です)やトライブのQティップ、クエスト・ラヴ等に遭遇、アトランタ公演の時はTLCのボズが私の前の席に座っていました。

(合掌)

伊藤 弥住子

伊藤弥住子レビュー:ディアンジェロ、アポロ劇場でソウルド・アウト・ライヴ D’Angelo to Headline the Apollo Theater in Harlem

Apollo 2.7.2015
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「ブラック・メサィア」アルバムを完成させたディアンジェロが “Second Coming Tour” を開始しました。ヨーロッパに出発する直前2月7日、土曜日の夜、ハーレムのアポロ劇場でライヴを行いました。1,500席しかない会場はもちろん、チケット発売と同時に完売、アポロ劇場の外にはダフ屋が何人も出現

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