8月17日はマーカス・ガーヴィー記念日

Marcus Garvey Day!

817日はマーカス・ガーヴィー記念日です。

1887年、8月17日、ジャマイカ生まれ、アフリカ回帰運動の父として、マルコムXも敬愛していたマーカス・ガーヴィーがもし生きていれば今年132歳を迎えます。彼の生誕地のジャマイカでは、ガーヴィーの誕生日の8月17日は国家の祝日に指定されています。とはいっても、祝日とは名ばかりで、学校も会社もお休みにはならないようです。

マーカス・ガーヴィーって誰? と思っている人は以下を参照して下さい。

マーカス・ガーヴィーの功績

1887年8月17日、ジャマイカのセント・アン‘ズ・ベイ生まれ。印刷工見習いとして働くうち、労働組合運動などを通し、世界中で植民地主義の犠牲になっているアフリカ系黒人たちの統一を組織しようと考えます。

1916年、マーカス・ガーヴィーはニューヨークにやってきます。最初は工場での仕事などをしながら生活の基盤を作ります。

初の黒人所有船会社、ブラック・スター・ライン

 1919年、船会社Black Star Lineを立ち上げ、中古の大型客船を買い取り、元奴隷で身を起こしたフレデリック・ダグラスにちなみ、S.S. Frederick Douglassと名付けました。(実際には、登録手続きができず、元の船名、SS Yarmouthのままでした)ハーレムのアフロ・アメリカンたちに「この船に乗ってアフリカに渡り、自由な国を打ち立てよう」と訴えました。実際にハーレムの港に停泊する「フレデリック・ダグラス丸」は多くのハーレム住人に夢と希望を与えました。「本当にアフロ・アメリカンの国が実現するかも知れない」、第一次世界大戦後、動乱の1920年代の好景気に浮かれるアメリカで、「バック・トゥ・アフリカ運動」は話題の中心でした。ブラック・スター・ラインの株が高騰したことが、さらにガーヴィーのアフリカ回帰運動の信憑性を裏付けたのです。ガーヴィーが率いる団体、Universal Negro Improvement Association (UNIA) はニューヨークだけでなく、全米のブラック・コミュニティーにその支部が置かれ、大きなブームとなりました。マルコムXの両親がUNIAネブラスカ州のオマハ支部に所属、精力的に活動していたことはよく知られています。

母国、アフリカに帰ろう

 ガーヴィーの、黒人の母国アフリカに帰る、という発想は熱狂的に受け入れられた反面、一部のアフロ・アメリカンの知識階級の人たちからは「たわごと」と、相手にされませんでした。あまり知られていないのですが、当時のアメリカの政治家たちは西アフリカの国、リベリアを植民地化していました。目的は、奴隷でない自由な黒人を厄払いすること。自由なアフロ・アメリカンが奴隷を感化して暴動を起こされてはかなわない、と考えた白人政治家が、自由人の黒人たちをアメリカの植民地、リベリアに移住させようと企んでいました。ガーヴィーの「世界中に散在する400万人の黒人の統一」は、白人政治家の「黒人の国外追放」とは意図は違っていましたが、リベリアにアメリカの黒人たちを送り込むことには変わりがなかったのです。すでに西アフリカに拠点があり、ガーヴィーのアフリカ回帰発想はまったく根拠のない絵空ごとではなく、黒人差別の激しいアメリカに嫌気をさしたハーレムの多くの人たちを魅了しました。彼らはガーヴィーを「二グロ版モーゼ」と崇めたのです。

役立たずな中古船、フレデリック・ダグラス丸

 ところが、中古の船、「フレデリック・ダグラス丸」は故障だらけ、整備もされておらず、実は航海不可能な鉄の塊でしかなかったことが判明します。多くの黒人メンバーから航海費用として徴収したお金は、各家族のなけなしの全財産、一生かけて貯蓄した血と汗と涙の結晶でした。ガーヴィーのアフリカ回帰運動のインパクトの異常な反響はアメリカ国家に脅威を与え、それを危惧したFBI, CIA によると思われるマーカス排除計画が遂行されます。女問題、税金問題など、さまざまな角度からの試みの果て、やっと、マーカス・ガーヴィーの「バック・トゥ・アフリカ」は郵便法違反にあてはまると、詐欺容疑で逮捕されることになります。犠牲者は泣き寝入り…….。1922年に郵政法違反で逮捕され、1923年の裁判で、マーカス・ガーヴィーは懲役5年の有罪判決を言い渡されます。

悲惨な結末

リーダー不在のUNIAは勢いを失い、どんどん弱体化してゆきます。1927年、ガーヴィーは刑をおえてアトランタの刑務所から出所しますが、ジャマイカ国籍だったため、そのまま国外追放になり、船でジャマイカに帰されます。

その後、ジャマイカで政党を立ち上げ、政治活動をしますが、健康も衰え、1940年6月10日、52歳でその生涯を終えました。

生涯「故郷のアフリカに帰ろう」と訴えたガーヴィーでしたが、本人は一度もアフリカの土を踏むことはありませんでした。

Marcus Mosiah Garvey Jr.    8/17/1887 – 6/10/1940(享年52歳)

伊藤 弥住子

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