元ブラック・パンサー・パーティーの革命闘志で、ラッパー2パックのゴッド・マザー、アサタ・シャクール未だキューバ亡命中!? Where’s Assata Shakur, 2Pac’s Godmother?

1973年、5月2日、ニュージャージー州の高速道路、ニュージャージー・ターンパイクで、パトロール中の州警察官が殺害される、という事件がありました。その首謀者として名前が挙がったのがブラック・パンサー党党員、のちのブラック・リベレーション・アーミーのメンバー、アサタ・シャクールです。

ラッパー、今は亡き2パックのゴッドマザーとして知られているアサタ・シャクールの影響力はとても大きく、特にヒップホップ界では、彼女を題材にした作品も多く発表されています。シカゴを代表するコモンもその一人。わざわざ彼女に会いにキューバまで行き、「ア・ソング・フォー・アサタ」で革命の闘志、アサタ・シャクールの勇気を讃えています。

凶悪テロリスト、アサタAssata – Most Wanted Terrorist


黒人コミュニティではポジティヴなイメージのアサタ・シャクールですが、FBIの凶悪テロリストとして指名手配されています。一体、何をした人なのでしょう。

1960年代後半、ブラック・パンサー党をはじめ、いくつもの黒人人権運動の団体が台頭し、連邦捜査局FBI (Federal Bureau of Investigation)がその撲滅に躍起になっていました。特に、カルフォルニア州、オークランドに誕生したブラック・パンサー党は、黒人解放闘争を展開し、指導者のヒューイPニュートンが「カルフォルニア州では市民が自己防衛のために武装することは合法である」、と呼びかけ、若者たちにアピールしました。これまで、ブラック・コミュニティでは、警察による暴力、嫌がらせなどが横行し、ゲトー地区の黒人たちはなすすべもなく、ただ怒りに打ち震えるばかりだったのです。


そこへ、ヒューイPニュートン、ボビー・シールなど、ブラック・パンサー党の幹部たちが黒のレザー・ジャケットにベレー帽といういでたちで登場しました。彼らがライフルや拳銃で武装している姿を見て、「ブラザーたちが立ち上がった!革命だ!」と、そのブラック・パワーが全米にさく裂し始めたのです。パンサー党の事務所では、入党を希望する若者たちからの電話がひっきりなし、メンバーはたちまち5,000人を超え、オークランドの本拠地のほか、南カルフォルニア、ニューヨーク、シカゴなど各地で支部をオープンし、拡大してゆきました。

まさに、国家にとっては脅威となりつつあったのです。

ブラック・パンサー党のニューヨーク支部はハーレムにありました。アメリカ政府の黒人に対する差別と暴力に嫌気がさしていた大学生だったジョアン・チェスマードは迷わずパンサー党NY支部に入党しました。名前を本名のジョアン・チェスマードから「アサタ・シャクール」と改めたのも、アフリカ人としての民族意識の表れだったようです。「私たち黒人は、ずっと奴隷として搾取・差別されてきた。白人のご主人さまの名前を名乗るのはもうウンザリ、自分の意志で生きてゆきたい。」という理由からでした

事件は、1973年、5月2日、ニュージャージー州の高速道路、ニュージャージー・ターンパイクで起こりました。ブラック・パンサー党のメンバー、アサタ・シャクールと、仲間のサンディアータ・アコーリ、ザィード・マリク・シャクールの乗ったポンティアックが、後ろからつけてきた、ニュージャージー州警察から止められたのです。あとからわかったことですが、彼らの乗った車には何等かの探知機が取り付けられていました。メンバー3人は両手を上げて武器を持っていないことを示すよう命令されました。その時です、いきなり警察官がアサタとサンディアータ、サィードに向かって銃弾を浴びせたのです。車内で座ったまま、アサタは腕、背中などを撃たれ瀕死の状態で放置されました。この銃撃戦の様子は、警察側とパンサー党の弁護側とはかなり食い違っているようです。

ニュージャージー州警察官、ワーナー・フォースター、パンサー党のザィード・マリク・シャクールの二人が死亡。アサタ・シャクールとサンディアータ・アコーリは逮捕され、1973年、警官殺しの容疑で投獄され、1977年、終身刑を言い渡されました。


無実を叫びつつ、釈放を要求していたアサタですが、73年の事件とは関係のない、強奪、誘拐、殺人など、次々といわれのない罪状をなすりつけられます。メディアに露出し、いかにも「アサタ・シャクールは凶悪犯人」という印象を与えようという意図が見え見えです。叔母で弁護士のイヴリンの助けで、多くの裁判を乗り切ってきましたが、ほとほと疲れ果ててしまいます。彼女の自叙伝「アサタ」にそのへんの事情が詳しく書かれています。


1979年11月2日、6年あまりを刑務所で過ごし、武装した仲間の幇助でアサタは脱獄に成功。その後、アンダーグラウンドに潜み、1984年、キューバに亡命しました。

2パック、今でも生きている!?

「2パックは今でも生きている。キューバに住んでいる」という噂が絶えないのも、アサタ・シャクールがキューバに亡命中だから、なのでしょうか。

事件からちょうど40年を経た2013年5月、FBIの凶悪テロリスト指名手配リストに、女性で初めて、アサタ・シャクールの名前が加わりました。

彼女を捕まえて引き渡した人への賞金の、1ミリオン・ドル(約一億一千万円)だったのが、2倍の2ミリオン・ドル(約二億二千万円)に跳ね上がりました。キューバ政府は、アメリカ政府のアサタ・シャクール引き渡し要求に対し、政治亡命者保護の立場から、交渉には応じない様子。ドナルド・トランプ大統領が、再交渉に臨んでいるようですが、キューバ政府が受け入れないことを望みます。

伊藤 弥住子

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