マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の率いる公民権運動の映画「セルマ」の主題歌”Glory”でオスカー賞をみごとに受賞したラッパー、コモンのライヴがハーレムのMIST (My Image Studio) で開催されました。5月6日(水)、夕方7時と9時の2回ショーが行われました。「ハーレム2ニッポン」のコンテンツの英語監修を手伝ってくれているケン・シモンズとセカンド・ショーに行ってきました。その時のレビューをケンさんが書いているので興味のある方は英語ヴァージョンを読んでみてください。
ウータン・クランのRzaも応援に駆けつけてくれました。コモンはシカゴ出身ですが、ブルックリンに住んでいたこともあり、ニューヨークは第二の故郷だそう。ハーレムでのライヴとあってかなり気合が入っている様子でした。
会場は116丁目、レノックス・アベニュー近くの「ミスト」というカルチャー・スペースでアフリカにちなんだブラック・カルチャー・イベントや音楽、映画など、面白い企画でコミュニティの中心的な役割を果たしています。新しい世代ががんばっていて、ハーレムの息吹きを感じます。この日のショーが行われたのはMIST 内にある、「Madiba」というラウンジで、 200人も入ればいっぱいになってしまうアットホームなスペースです。まさにショーのタイトル、”Common, Up Close and Personal”そのもの。
パフォーマンスの冒頭にコモンが「‘セルマ’はとても重要な映画、60年代にマーチしてくれた人たちがいたお蔭で現在がある。この映画のテーマ曲に参加することができたのは本当に光栄!」と挨拶しました。
ライヴでは、コモンのラップとの出会い、人間としての成長を語りつつ、過去からの作品を披露してゆくと いう構成。シカゴのゲットー地区、サウスサイドに育ったコモンが12歳の時、オハイオ州シンシナティのいとこと夏休みを過ごした時に初めてラップを体験。 自分でラップしてみて、「これだ!」と運命の出会いを感じたのだそうです。もう一度、人生の転機が訪れます。1997年、すでにラッパーとしてデビューし てスター街道まっしぐら、有頂天になっていた25歳のコモンと当時付き合っていた彼女との間に娘が生まれたのです。「やばっ、オレまだ父親なんかになれな い……..。」と悩みましたが、意を決して新しい「父親」という責任を受け止めることに。今となっては勇敢な決断だったと振り返ります。
デビューして以来、1997年のアルバム、 “One Day It’ll All Make Sense”までずっと音楽のパートナーだった幼馴染みのプロデューサー、No I. D. と疎遠だった時期を経て、2011年にコンビを復活したことなど、裏話などを語りました。
また、2006年に32歳という若さで病死したプロデューサーで、ヒップホップ・グループ、 Slum Village のメンバーだったJディラの思いで話を披露するなど、自分の人生を振り返りながらヒット曲をパフォーマンスしてゆきます。2000年のJ Dilla プロデュース曲、「The Light」は当時付き合っていたエリカ・バドゥに捧げる歌なのだそうです。かぎ針編みのニット帽をかぶったり、ヘンテコなパンツをはいたり、菜食主義になったり、まわりから「お前、最近おかしいぞ。どうしちゃったんだ。」と非難されたそうですが、「彼女のせいじゃないよ、実際、菜食主義になりたかったからだよ。」とエリカを弁護。「彼女は素晴らしい人だ。」と別れた今も絶賛。さすが、コモン、ジェントルマンです。
エリカ・バドゥの影響でジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンなどを聴いてインスパイアされて制作した2002年に発表したアルバム、「Electric Circus」はポップやロック色が強く、商業的には成功とはいえず、「コモンは終わった」と言われた時期もありました。
それを覆したのは、同じシカゴのヒップホップ・アーティスト/プロデューサー、カニエ・ウエストとのコラボ作品、2005年の「Be」でした。「カニエとの仕事は自分にとっても新たな挑戦だった。MCとしても成長した、思い出深いプロジェクト。」とコメント。懐かしのヒット、”Go!” で盛り上がります。
最近の警察官による黒人男性への暴行殺人事件などにも言及、「黒人、白人、アジア人、アメリカ・インディアン、何人だろうと人間には変わりない。人権は守られるべき。」と主張して熱狂的な拍手で迎えられました。
フィナーレはジョン・レジェンドとのコラボ曲、「Glory」で締めくくりました。安定したパフォーマンスで評判のコモン、この晩も、初夏を思わせる爽やかな夜にふさわしいアップリフティングなコンサートを繰り広げてくれました。
伊藤 弥住子